殺した子供の生首を並べ、胴体を切り開いて血まみれの内臓を見ることに喜びを感じた――これは現代のシリアルキラーの言葉ではない。15世紀フランスで子供ばかり何百人も拷問、殺害したジル・ド・レの証言である。当時のヨーロッパでも指折りの大富豪かつ大貴族であり、フランス救国の英雄とも呼ばれた高名な軍人でもあった。その被害者のほとんどは子供で、その数はなんと140~800人にも及ぶとされている。その邪悪な所業は民間でも広く語り継がれ、童話「青髭」のモデルにもなったといわれている。
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■大貴族であり救国の英雄
ジル・ド・レは1404年、フランス・ブルターニュ地方の大貴族の息子として生まれた。本名をジル・ド・モンモランシ=ラヴァル(Gilles de Montmorency-Laval)といい、父方・母方両方の家系からロワール川流域の広い領土を受け継ぐこととなった。
成人したジルは宮廷に出入りするようになり、やがて運命の出会いを果たす。イングランドとの百年戦争でフランスを勝利に導くことになるオルレアンの乙女ことジャンヌ・ダルクとの出会いである。王宮から目付役として送り込まれたともいわれるが、ジルはジャンヌに心酔するようになり、戦場では肩を並べて共に大きな戦果を挙げた。しかし、ジャンヌは敵国イングランドの手に落ち、祖国フランスにも見捨てられて火刑台の露と消えた。
その一方でジルは元帥に列せられ、救国の英雄と称えられた。その財産は王室以上とされ、ヨーロッパでも屈指の大富豪となっていた。ジルはその財産を大盤振る舞いして放蕩にふけった。きらびやかな家臣団や司教たちを引き連れて歩き、礼拝堂の建設や歌劇の上演を行った。財産は瞬く間に目減りし、領地を売り払い、借金を重ねるようになった。