恐ろしい殺人鬼の噂はたちまち広がり、新聞は女子どもを刺殺してその血をすする「デュッセルドルフの吸血鬼」と書きたてた。だが、キュルテンは犯行の手を休めなかった。9月にもメイドの女性をレイプしてハンマーで撲殺、10月にもさらに女性1人を撲殺している。
記録上、キュルテン最後の殺人は同年11月7日の事件である。被害者は5歳の少女で、絞殺した後にハサミでめった刺しにしている。キュルテンは地元新聞社に彼女の遺体の場所を示した地図を送っている。
手口の多様さや広範囲で事件が起きていることから、警察は複数犯の可能性を考えていた。容疑者リストは90万人にも及び、すでに冤罪で逮捕される者も出ていた。人々は凶悪犯を逮捕できない警察に怒りを募らせた。
翌1930年の2~3月、キュルテンは多くの人をハンマーで殴っている。だが、幸いにも死人は出ていない。そして同年5月14日、キュルテンは最後の事件を起こす。被害者は失業して仕事を探していた20歳の女性だった。キュルテンは彼女を言葉巧みに自分のアパートに連れ込み、その後ホテルに送り返す途中、森の中で彼女を強姦した。キュルテンは「俺の家を覚えているか?」と尋ね、彼女が覚えていないと答えたところ、そのまま彼女を解放して姿を消した。
実際のところ、女性はキュルテンのアパートを覚えていた。警察の手が迫っていることに気づいたキュルテンは妻アウグステに「自分こそがデュッセルドルフの吸血鬼だ」と打ち明け、高額な懸賞金をもらえるから自分を警察に突き出すようにと言った。
そして5月24日、妻の通報によってキュルテンは逮捕された。教会で警察に取り囲まれた彼は、一切抵抗しなかったという。
逮捕後、キュルテンは捜査に協力的で、自らの犯行を詳細に語った。警官たちが自分の供述に恐怖している様子を楽しんですらいたという。9件の殺人事件と7件の殺人未遂事件を含む罪で起訴されたキュルテンは、9回の死刑判決を受け、1931年7月2日にギロチンで処刑された。