■最初の事件
1913年5月25日、30歳になったキュルテンはケルンに住む10歳の少女を強姦して刺殺した。犯行現場は被害者の自宅で、階下では彼女の両親がパブを営んでいた。容疑者として疑われたのは、事件の日に被害者の父親と口論していた彼女のおじに当たる男性だった。キュルテンが疑われることはなく、無罪の人間が逮捕されて裁判にかけられているのに、高みの見物をきめこんでいた。
1914年、キュルテンは徴兵されることとなる。だが軍隊暮らしは肌に合わなかったのか、脱走して再び刑務所に収監された。孤独を好んだキュルテンはわざと刑務所の規則を破り、懲罰房に入れられるよう仕組んだ。独房の中で、彼は殺人や放火など性的で暴力的な妄想に浸ったという。
1921年に釈放されたキュルテンは、テューリンゲン州アルテンブルクに移住する。彼はそこでアウグステ・シャーフという女性と運命的な出会いを果たす。3歳年上の元売春婦で、過去に婚約者を拳銃で撃って4年服役した経験があった。アウグステと結婚したキュルテンは、1925年に再びデュッセルドルフに戻り、真面目な労働者として評価されていた。意外なことに、キュルテンは妻には一切暴力を振るわず、良い夫としてふるまっていたようだ。
■デュッセルドルフの吸血鬼
愛妻との生活ですっかりおとなしくなったように見えたキュルテンだが、彼の暴力性はやがて息を吹き返した。1929年2月9日、キュルテンは8歳の少女をめった刺しにして殺し、その遺体にガソリンをかけて焼こうとした。その直後の2月13日には、からんできた45歳の男性をやはりめった刺しにして殺害している。
その後しばらくはおとなしくしていたキュルテンだが、同年8月に犯行を再開する。同月21日には立て続けに3人の女性を襲撃して刺殺、二日後の23日には5歳と14歳の姉妹を殺害した。翌24日にも女性を襲ったが、被害者の女性は気丈にも「強姦されるくらいなら死んだほうがマシ」と叫んだ。キュルテンは「なら死ね」と何度も彼女にナイフを振り下ろしたが、幸いにも彼女は一命をとり止めた。彼女は犯人について、人のよい40歳くらいの特徴のない男と話した。