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アイルトン・セナの最大の武器「セナ足」とは?
アイルトン・セナの事故と死因の真相
アイルトン・セナの最大の武器「セナ足」とは?
Ayrton Senna – McLaren Honda 1988 pic.twitter.com/IJkfm9gcsq— AutoSports Art (@AutoSportsArt) 2017年3月1日
現在のF1レースで使用される車は、最先端の電子デバイスが搭載され、ドライバーがアクセルを踏みすぎてもホイルスピンにつながらないように自動制御してくれるTCS(トラクション・コントロール)が許されています。
しかし、アイルトン・セナがF1に参戦していた1980年後半から1990年には、TCSは許可されておらず、アクセルのコントロールは、ドライバー自らが足でコントロールする必要がありました。
アイルトン・セナは、この足さばきがまさに神がかっていて、グリップだけでなく、細かくアクセルを足でオン・オフすることで、コーナリングのエンジン回数を保ったり、車の向きを保ったり、トルク落ちを防いだりすることができたのです。
いつしか、このアイルトン・セナにしか行うことができない足さばきは、「セナ足」と呼ばれ、「レインマスター」「音速の貴公子」とともに、天才F1カーレーサー「アイルトン・セナ」への称号となっていったのです。
アイルトン・セナの事故と死因の真相
Un video inédito sobre la muerte de Ayrton Senna conmueve a la Fórmula 1 https://t.co/jjWKiRSd7C pic.twitter.com/gmsF0rBckt— MÁS Deportes (@MASdeportesLA) 2017年2月21日
事故の真相で有力視されているのは?
現在に到るまで、事故の真相・原因は確定されておらず、短すぎるアイルトン・セナの生涯とも相まって、諸説が語られます。
その中でも一番有力だと言われているのは、ステアリング・シャフトのトラブルによるものだというものです。
事故当時、アイルトン・セナが乗っていた「ウィリアムズFW16」は、FW14を母体としたマシンでした。FW14は、その当時のウィリアムズのファースト・ドライバー「ナイジェル・マンセル」に合わせ作られていたのです。
アイルトン・セナのスタイルに作り替え?
ナイジェル・マンセルは、F1ドライバーの中でもパワフルなドライビングが特徴で、ステアリングには非常に小さいものを好んで使用していました。ウィリアムズFW16のモノコックの設計も、これを引き継ぐ形で行われていたのです。
しかし、アイルトン・セナは逆に、ステアリングには大きいものを好んでいたため、FW16に望むものを付けると、ステアリングの位置を下にずらさなければなりません。
ずらすと、今度は、アイルトン・セナの膝がステアリング・シャフトに当たってしまう不都合が生じます。そこで、シャフトを切断し、膝が当たってしまう部分のみ細いパイプを通し、元のシャフトと溶接する方法がとられたのです。
幾重にも重なった事故の原因
当日のサンマリノGPは、最初の事故の影響で、セーフティーカーが導入されていて、路面は事故車両の破片が残っており、非常に危険なコンディションとなっていました。
しかし、それ以前の2戦ともリタイア続きだったアイルトン・セナは、その2戦とも優勝をさらったミハエル・シューマッハの前を危険を顧みず走行し、超高速コーナー「タンブレロ」にさしかかります。
バンピーな路面、超高速コーナー、そして作り変えられたステアリング・シャフト、原因が幾つも重なった結果、ステアリング・シャフトは折れ、走行不可能となります。
アイルトン・セナは、必死にシフトダウンしようとしますが、間に合わず、無残にも車はコンクリートウォールに激突してしまいました。
アイルトン・セナの死因
サンマリノGPが開催された「イモラ・サーキット」のコンクリートウォールに激突したアイルトン・セナの死因は、右フロントホイールが衝撃で頭部を直撃した結果だと言われています。
すぐさま、ドクターヘリでマジョーレ病院と運ばれますが、脳死状態となり、レースから約4時間後に残念ながら、この世から去ってしまいました。
孤高の天才F1カーレーサー「アイルトン・セナ」享年34歳の突然の不幸は、全世界に報じられ、世界中のファンが悲しみにくれたのです。
アイルトン・セナの死因はサスペンションがヘルメットに…
1994年5月1日、イタリア・イモラにある「イモラ・サーキット」で開催されたF1第3戦サンマリノGP、アイルトン・セナはレース中のクラッシュで命を落とします。
レーススタートから7周目、イモラ・サーキットの第1コーナーにあたる“タンブレロ”で、アイルトン・セナがドライブするマシンは真っ直ぐコースサイドにあるコンクリートバリアへ衝突。当時残されたデータによると、コーナーへの進入速度は300km/hを超えていたとされています。
衝突後、マシンはフロント部分をはじめ大破し、回転後に停止。アイルトン・セナの身体は動く気配がなく、医療スタッフが事故現場に駆けつけてようやくマシンから身体を引き出し、現場での救護作業が行われました。
懸命の救護も空しく、医療用ヘリコプターにて病院に運ばれます。そして、午後6時40分にアイルトン・セナの死亡が告げられました。
アイルトン・セナの死を決定付けたのは、マシンへ装着されていたサスペンションでした。
事故後に開催された1994年F1第4戦モナコGP。記者会見でアイルトン・セナの死因が発表されます。国際レベルで開催されているモータースポーツ競技の統括機関である「FIA」(国際自動車連盟)の会長を務めていたマックス・モズレーにより、「フロントサスペンションが脳に突き刺さったため」と明らかになりました。
クラッシュが発生した際、右フロントホイールがマシンのコクピット内に侵入して、アイルトン・セナのヘルメットに当たったとされています。加えて、ホイールと繋がっていたサスペンションがヘルメットを貫通して頭部の損傷を引き起こしたほか、サスペンションの破片が目を保護するバイザー部分を破り、右目付近に達したとされています。
これらの要素のうち、いずれかが該当してもアイルトン・セナは死に至っていたとされており、クラッシュにより吹き飛んだサスペンションが明暗を分けたのです。
アイルトン・セナの事故はなぜ起きた?マシンに何が?
1994年F1サンマリノGPにてアイルトン・セナが犠牲となった事故は、発生から30年近く経つ今でも事故の原因や真相が明確ではなく、結論を出すのが困難な状況です。
マシントラブルやレースウィークに発生した他のドライバーによるクラッシュ、その他外的な要素が、アイルトン・セナに影響を与えたのではないかと、裁判所の見解や専門家による議論がなされています。
アイルトン・セナの死後、事故の原因に挙げられているのは次の5点です。
マシン側のトラブル
ドライビング中のミス
装着していたタイヤのパンク
セーフティカーの性能の違い
精神的なストレス
上記の中で、今現在でも語られる機会が多いのは「マシン側のトラブル」と「精神的なストレス」の2点。
アイルトン・セナが操っていたマシン「ウイリアムズFW16」にトラブルがあったのでは、との見方が挙げられています。
FIAにより、1994年シーズンからF1に参戦するチームに対し、マシンへの“ハイテク装備”搭載を禁止するよう通達がされていました。前年度の1993年シーズンまで、電子制御で性能を変化できる「アクティブサスペンション」をはじめとした先進機能を搭載していたウイリアムズチームでしたが、ハイテク装備の搭載禁止に伴い、完全新設計の新車となるFW16をレースへ投入することとなります。
FW16は、アイルトン・セナでなければまともにドライブできないとも語られるほど“ピーキー”な性格となっていたそうです。
そのほか、サンマリノGPのレースウィーク最中に、「ステアリングコラム」の位置を改善する作業が行われた点も、事故後の裁判で問われたポイントとなりました。改善作業を行った結果、事故が発生する前にステアリングコラムが破損したのではと、諸説挙げられていたポイントで有力視されていたほどです。
実際、サンマリノGPのレースウィーク最中に、ステアリングコラムの位置をアイルトン・セナにフィットするよう改善作業が行われていたと、裁判にてウイリアムズチーム側が代理人により認めています。
ただ、FW16を設計したデザイナーのエイドリアン・ニューウェイ氏によると、マシンの設計自体に不十分な点があったとも述べられています。アクティブサスペンションが禁止された影響で、走行中の車高変化に対応できる柔軟性が足りなかったとも考えられているようです。
マシン側のトラブルが考えられた一方で、「精神的なストレス」も事故に繋がった原因ではないかとも考えられています。
同じサンマリノGP、金曜日の練習走行中にセナと同じくブラジル出身で、当時は期待の若手だったルーベンス・バリチェロ(ジョーダンチーム)がクラッシュ。命に別条はありませんでしたが、鼻を骨折する怪我を負いました。
そして、土曜日の予選、ローランド・ラッツェンバーガー(シムテックチーム)が走行中にマシンのフロントウイングが脱落したことが原因でクラッシュ。帰らぬ人となってしまったのです。アイルトン・セナはコースオフィシャルの車で事故現場まで駆けつけ、状況を目の当たりにしています。
母国ブラジルの後輩であるルーベンス・バリチェロのクラッシュ、新人ドライバーだったローランド・ラッツェンバーガーの死が重なり、セナへ精神的なストレスを与えたのではないかとの見方もされていますが、本人亡き今では、原因と断言できないのが実情です。