この森氏の証言の証人尋問調書が完成したら、セレスポ公判で証人尋問調書の証拠請求を行おうと考え、裁判所書記官に、証人尋問調書作成の進捗状況を何回も尋ねたが、セレスポ公判の論告期日の前日の7月2日の時点ではまだ完成していないということであり「裁判体の決裁で何日かかるかわからない」とのことだった。
7月3日の第7回公判で検察官の論告が行われ、弁護人の最終弁論は、論告の9日後の7月12日の第8回公判で行うこととされていた。
「証拠に基づかない検察官論告」に対する異議と裁判所の対応検察官が行った論告では、弁護人が信用性を強く争った勾留満期前日の供述調書は、事実立証の根拠となる証拠から明示的に除外されていた。検察官は、「応札の依頼なのか、依頼されていない競技の入札が制限されていたか」について主張すらしていなかった。
論告では、証拠がほとんど引用されておらず、事実の記載も多くが抽象的で、証拠上の根拠も不明だった。「証拠に基づかない論告の記載」と思えるものも複数あった。
そのうちの一つがセレスポ取締役会での2名の役員の発言の記載だった。検察は、
鎌田氏の「アタック」という発言が、それらの役員の発言を受けてのものだから、「割り振り」に対して自社の希望競技を主張していくという意味だ
と論告で主張したが、そのような2名の役員の発言とそれに基づく主張は、検察官の証明予定事実記載書にも、冒頭陳述にも記載されておらず、論告において唐突に持ち出してきた主張だった。しかも、証拠上の根拠が不明だった。発言者のO氏の調書や添付書類には見当たらず、もう一人の役員に至っては、供述調書すら作成されていなかった。
弁護人は、このような論告の記載について、「証拠に基づかない論告」だとして異議を述べたが、裁判所は棄却した。検察官に同記載の証拠上の根拠を尋ねたところ、「被告人質問における検察官の質問が証拠である」旨の説明だった。
そこで、第8回公判では、弁論に先立って、弁護人から、裁判所に確認を求めた。
「検察官が説明するように質問が証拠になるなどということを前提に、このまま弁論を行ってよいのでしょうか。裁判所は、そのような前提で、異議を棄却したのでしょうか」
しかし、安永裁判長は、
「弁護人から出された異議については既に裁判所は棄却の決定を出しており、その理由について説明はしません」
と述べた。その直後、検察官が立ち上がり、
「弁護人に期日外で説明したことについて不正確に述べないでもらいたい。検察官の質問だけではなく、そのやり取り全体を証拠としているものである」
などと発言した。
その後、弁護人が弁論を行い、終わった直後、検察官は、弁論で検察官の取調べの問題について指摘している箇所について、
「被告人質問での弁護人の質問を証拠としているのではないか」
と発言した。
弁護人が「証拠に基づかない論告」と指摘した部分は、検察官が、証拠とされてない録音記録に基づいて質問し「~という発言は記憶にありますか」と聞かれて、鎌田氏は「覚えてません」と答えており、質問部分は全く証拠になりえない。
一方、検察官が指摘した弁護人の弁論の記述の方は、取調べの録音録画の内容に基づいて質問したのに対して鎌田氏が「はい」と認めているのであり、録音録画の内容についての被告人供述という「証拠」に基づいている。全く的外れの検察官の指摘だった。
弁護人はあえて、
「それなら、その部分は、特に重要な箇所ではないので削除する。そちらの方の記載も検討してもらいたい」
と述べた。当然、検察官の論告の記載も削除せざるを得ないだろうと思ったからだ。
しかし、安永裁判長は、弁護人が削除すると述べた部分だけ確認し、検察官の「証拠に基づかない論告」については、何の対応もしないまま、公判手続を終了した。それによって、検察官の「証拠に基づかない論告の記載」だけが、そのまま残ったのである。
「適法な証拠に基づく裁判」というのが刑事裁判の大原則である。検察官が、被告人質問で「・・・の事実があったのではないか」と質問し、被告人が「記憶にありません」と答えていても、その「・・・の事実があった」とする資料が証拠になり、検察官はそれに基づく主張ができる、というのであれば、検察官は、どのような証拠でも、証拠のルールを無視して、自由自在に都合のいい事実を証拠にして、自らの主張の根拠とすることができる。
これが「証拠に基づく裁判」と言えるだろうか。
T社公判での森証人尋問調書についての弁護人の質問と安永裁判長の対応安永裁判長は、「これで審理を終える。判決は12月18日」と言ったが、その直後に、弁護人が立ち上がって、次のとおり述べた。
「T社の公判での森氏の尋問調書が作成されたかどうかを、書記官に何回も確認し、昨日も確認しましたが作成未了とのことでした。現時点でも未了ということでしょうか」
安永裁判長は露骨に不愉快そうな顔をして
「事件当事者でもない人に、そのようなことを答えることはしません」
と述べた。
もともと、T社と担当者は、鎌田氏と共犯関係にあるとして一括起訴されたものであり、セレスポ・鎌田氏の弁護人は、T社の公判の事件について「当事者ではない」とは決して言えない。第7回公判終了後の打合せの際にも、「T社の公判での森氏の尋問調書は、作成完了次第、証拠請求の予定。もし、間に合わなければ弁論再開請求の予定」と予告していた。
書記官に、論告直前に調書が完成する予定を確認した時点では、速記録はできているようだった。それから10日経過した時点で、いまだに「決裁中」ということは、安永裁判体が10日近くも証人尋問調書を完成させずに抱え込んでいたことになる。
森氏の証人尋問調書を証拠請求する方針を示しているセレスポ弁護人が証拠請求できないよう、「証人尋問調書作成の意図的な遅延行為」を行っているとしか思えない。
「ノットリリースザボール」の反則「ボールを前に投げてはならない」「タックルされて倒されたらボールを離さなければならない」というのがラグビーの基本ルールであり、後者に違反する反則が「ノットリリースザボール」だ。倒されても、そのままボールを抱え込んでいたのではラグビーにならない。
安永裁判長の森氏の証人尋問調書の作成遅延行為は、ノットリリースザボールの反則そのものだ。公訴事実を認めて有罪判決を受けた森氏の公判で昨年7月に行われた被告人質問調書は、作成完了後、すぐに弁護人から証拠請求し、検察官も証拠請求して証拠採用されている。その森氏がT社公判で、被告人質問とは異なり、宣誓の上証人として証言したのであれば、その証言内容も、速やかに証拠化され、セレスポ公判で証拠とするのは、当然のことだ。
速記録が完成しているのに「決裁中」と称して裁判長が抱え込んでいるとすれば、重要な証拠を証拠採用するという刑事裁判の基本的なルールに反するノットリリースザボールの反則そのものだ。
セレスポ・鎌田氏の行為のどこがどうして犯罪なのかセレスポも、鎌田氏も、東京オリパラ大会のテストイベント計画立案業務の入札について、対象競技への自社の大会運営実績・対応能力について社内で検討し、会社としての判断で、各競技に入札するか否かを判断した。その際、組織委員会側から入札参加の要請を受けた案件については、可能な限り応じられるよう努力した。入札参加依頼を受けなかった会場競技についても実績と能力がある競技については、積極的に入札参加した。組織委員会側の依頼の有無で何ら制約を受けてはいない。
スポーツ大会で豊富な実績があるイベント制作会社として、国際的行事である東京オリパラ大会に対して当然の対応をして貢献した鎌田氏はじめセレスポ社員達が、なぜ「犯罪者」の汚名を着せられなければならないのか、絶対に納得できない、という思いから、鎌田氏は、検察官の2か月半にわたる取調べで可能な限り説明を尽くし、その後逮捕・勾留されても、196日にわたって、健康上の問題もあって筆舌に尽くし難い身柄拘束の苦痛にも耐え抜いた。
森氏の検察官調書には、「心理的強制の下で作成された勾留満期前日調書」以外に、鎌田氏の主張に関することはほとんどとられていない。その検察官調書を不同意にすれば、さらに半年程度保釈許可が遅れることは必至だった。「人質司法」から逃れるために、検察官請求証拠は全部同意した上で信用性を争い、取調べ録音録画等で弁護人の主張の証拠として「調書化されていない森供述」を活用する方針で臨むことにした(もっとも、検察官調書をすべて同意しても、検察官はなおも保釈に猛反対し続け、3回にわたって保釈請求は却下され続けた)。
しかし、弁護人の森氏の取調べ録音録画媒体の請求も、証人尋問請求も、安永裁判長にことごとく却下され、審理は終結した。被告人最終陳述で、鎌田氏は、
「森さんの話を聞いてもらえれば、私が主張するとおりだとわかってもらえるはずだと思っていました。残念です」
と述べた。
驚愕のH社有罪判決の判決理由セレスポ・鎌田氏の弁論期日の前日の7月11日、同じ安永裁判長の裁判体で審理されたH社とその担当者の公判での判決言い渡しがあった。その判決要旨を入手して読んだ私は、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「こんなものが独禁法違反の刑事事件の判決であるわけがない!」
9万字に上る弁論の作成の最終段階だった私は、その判決のことは、何とか頭から取り払おうと努めた。
H社は、D社に次ぐ広告代理店業界の大手企業、D社とは、もともと激しい競争を展開していた。個別の入札案件でも、森氏側の「割り振り」には従わず、依頼されない競技にも入札参加し、しかも、企画提案と入札価格の設定で落札の可能性を高めるため、全力を挙げていた。まさに、競争そのものというべきH社が、独禁法違反とされることはあり得ないと思われた。
ところが、判決では独禁法違反の成立を認めた。その理由として、次のように書かれている。
被告人や他の事業者の従業者らは、森やD社の従業者らとの面談等を通じて、会場案件に応じて、森において受注が適切と考えている他の事業者の存在を認識したと認められ、さらに、同面談の内容等に照らし、森は、それら事業者の従業者らとも面談等を行って、その意向を示すなどしているであろうことを認識ないし予測していたことも認められる。そして、そもそも、東京2020大会は、世界的なスポーツイベントであり、従前からスポーツの競技大会の運営等を行っていた事業者にとって、他の同種事業者も、各競技団体との関係性を維持等するため、東京2020大会に関連する競技大会の運営等の業務を受注したいと考えていることは、当然想定し得た。そうすると、前記の認識を有するに至っていた被告人や他の事業者の従業者らはそのような業務の受注に関し、発注者である組織委員会の幹部職員として当該業務の発注について中心的な役割を果たしていた森からその意向を示されるなどした他の同種事業者らが、受注の可能性を高めるため、森の意向に沿って入札等に向けた行動をとることを相当程度の確実性をもって相互に予測していたと認めることができる。
このような事実関係に照らすと、被告会社等関係事業者7社は凝りを介するなどして、相互に他の事業者の入札行動等に関する行為を認識し、暗黙の裡に認容したと評価することができ、他の事業者との間で意思連絡をしたと認めることができる。
このような理屈で、不当な取引制限の成立を認めるなどということは、経済社会の常識からも考えらえない。
民間発注であれば、発注者側から、実績・経験を認められ、入札に参加してくれと依頼されれば、「受注の可能性が高まった」と思って喜んで入札参加するのが当然だろう。他の事業者も同じように、別の案件で入札参加を依頼され、従っているだろうと予測するのも当然のことだ。それが、なぜ談合なのか、独禁法違反なのか、なぜ「犯罪」になるのか。
セレスポ・鎌田氏の独禁法違反事件の公判前整理手続が始まったのが昨年6月、その後、公判が始まり、今回の弁論で結審するまでの1年余の間を振り返ると、安永裁判長が、検察官の意見に反した決定・対応をしたことは殆ど無く、すべて検察官の言いなりだ。
検察は「裏金議員」に対しては、全く的外れの捜査しかせず、国民の期待を裏切った(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】など)。
一方で、日々懸命に働いている企業人に対しては、凡そ常識はずれの「刑事処罰の刃」を向ける。そういう検察に寄り添っているのが刑事裁判所であり、安永裁判長に至っては、検察と共に「暴走」を続けている。
それ程までに裁判所が寄り添ってくれるのであれば、国会議員であろうが、派閥幹部だろうが、躊躇することなく起訴してしまえばよいではないか。なぜ、権力者であるか否かで、これほどまでの違いが生じるのだろうか。