10代にはわからなかった「東洋哲学」
ーー学生時代からすでに東洋哲学に関心を持たれていたんですね。
しんめいP:『龍樹』(著・中村元/講談社学術文庫刊)は、Amazonの履歴をみたら、2008年、18歳の頃に買っていました。覚えているのは「全然意味わかんねえな」って思ったことだけ。だから、実家に置きっぱなしになっていました。
ーーその関心はどこから始まったんですか?
しんめいP:いやぁ、ファッションですね、「哲学やってたらかっこいい」と思ってたんですよ。構造主義や、フランスの現代思想は「わかる」気がしたんです。
フランス現代思想・哲学は、日本の哲学者から「東洋哲学に近い」と評されることもあって、もしかしたら西洋思想を難しく考えなくても、より身近にある東洋哲学に「僕の知りたいこと」があるんじゃないかと思いました。実際、東洋哲学の本を読み進めていくと「意外とロジカル」。新鮮で衝撃的でした。
ーーロジカルであるはずの哲学なのに……?
しんめいP:仏教だったり、もっと文化的なものだったりで、哲学だと思っていませんでした。「仏教って葬式とかのアレでしょ?」くらいの認識だったところに「そこにちゃんと哲学があったんだ」とでもいうか。
仏教がそもそもインド発祥だということすらピンときていない。どうしても法事のイメージで、お経は漢字じゃないですか。インド、中国そして日本のものが交じりあったものだということを深く考えようとしたこともなかったですね。
ーー梵字の存在には気がついていなかったんですね。
しんめいP:そうです(笑)。自分の生活や足元にある仏教と哲学が実は密接につながっていて、もしかしたらフランス現代思想を何千年も先取りしてたかもしれない、とカタルシスを得た瞬間を覚えています。
ーーさまざまな経験を経て、自己啓発本や西洋哲学ではなく東洋哲学が‟効いた”理由は?
しんめいP:東洋哲学に面白さを感じられても、10代の僕は「なるほど、そっかあ~」程度。大事なものを失ったような経験もありません。
シンプルにするためにあえて本には書かなかったんですが、布団で心理学系の本も読んでいます。「葛藤」や「シャドー」という心理学用語で語られていること、これが絶妙に僕の「かゆいところに手が届かない」。なんらかの原因への対処療法に過ぎないというか。
シロアリがすごい数出てきてるのに、その巣がみつからなくて、根源的な解決には至らないような感じでした。シロアリ被害にたとえるなら東洋哲学は「家に住まなくていいじゃん」なのかな。「家に住むから、害虫に悩まされるんです」……「たしかに」みたいな(笑)。それくらい根本的なことを知りたかったんですね。
<『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版・刊)>