世界最小の独立国家(ただし、未承認)、シーランド公国の爵位が「唯一の肩書」だというしんめいPさんの東洋哲学エッセイ『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版・刊)。7人の東洋哲学者、ブッダ・龍樹・老子・荘子・達磨大師・親鸞・空海の思想をかみ砕き、まるで「推しキャラ」のようにポップに紹介する1冊です。
実家の布団にこもる日々を経て、noteで公開した「東洋哲学本50冊よんだら『本当の自分』とかどうでもよくなった話」という記事が、書籍出版のきっかけとなったといいます。
大学卒業後、社会に出るも‟苦戦”を強いられ、一発逆転を狙い芸人として「R-1グランプリ」に出場したという類まれな経歴を持つ‟こじらせニート”、しんめいPさんにお話をうかがいました。
僕の人生は「言葉」がキーワード
ーー「あれは挫折だった」と思う経験はありますか?
しんめいP:最初の挫折経験といえるものは、20歳頃に1年間アメリカ留学をして「言葉が通じない外国人」になってしまったことですね。
大学に入った当時は「田舎者が東京に出てきた!」って感じで、本当に楽しかった記憶しかありません。大学生になって初めて社会的に認められたと錯覚したんでしょうね。東急東横線沿線に住んで、「中目黒」「代官山」……テレビで取り上げられるような街がすぐ近くにあって、芸能人も普通に歩いてる。夢の世界に住んでいるように感じていました。
上京したときの高揚感そのままに世界の中心だと思っていたアメリカへ行って限界を感じました。
ーー「言葉」に力と自信を感じていらっしゃったんですね。
しんめいP:自信と同時にアイデンティティーを見出していました。考えることや口にする言葉で、他者と差別化できているというか。アメリカで、英語で、となったときに「何もないじゃん」「ひょろひょろのアジア人じゃん」と無力さを感じました。「自分を自分としている」と思ってたものが日本語の運用能力に支えられたものだと気がついたんです。
僕の人生は「言葉」がキーワード、東洋哲学も「言葉の哲学」です。くわしくはなかったけど、東洋哲学は好きだったんです。子どもレベルの英語では、ちゃんと説明したり伝えたりできなくて。
<撮影:ヨシダショーヘイ>
ーーすでにスティーブ・ジョブズなどの影響からZEN(禅)が流行した時期ですか?
しんめいP:その後になるんでしょうか。ZENの流行は長期的なスパンで繰り返されています。僕が行ったときに印象的だったのは「メディテーション(瞑想)」が流行していたことですね。
日本で「瞑想が趣味だ」と公言したら当時は「怪しい」「変わってる」と思われたはずで、僕もそう思っていました。アメリカでは「メディテーションに参加してきた」なんて、むしろイケてる扱いされていて、これはカルチャーショックでしたね。
ティク・ナット・ハンさん(※)の「マインドフルネス」は、当時まだ大きな話題になっていたという実感はありません。そういったアメリカで評価された東洋のスピリチュアルな文化が、日本であらためて市民権を得ていると感じます。
ティク・ナット・ハンさんとは
仏教と「マインドフルネス」の普及活動に従事したベトナム出身の禅僧・詩人・平和活動家。「マインドフルネス」は「仏教の教え」を説いたものですが、自己修養・自己成就の手法として、Google社の研修に取り入れられたり、iPhoneのヘルスケアアプリに「マインドフルネス」のカテゴリが設けられたりしています。