日本共産党への「言論の自由」に対する懸念
そのうえ、先般の古参党員に対する「除名問題」も、党中央に権力が集中する「民主集中制」の問題点を含め、共産党に対する「言論の自由」に対する深刻な懸念である。以上の通り、1976年には「自由と民主主義の宣言」をした共産党であるが、同党が「暴力革命」(敵の出方論)と「プロレタリアート独裁」を核心とする共産主義のイデオロギーであるマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)を明確に放棄し、社会民主主義政党に生まれ変わらない以上は、将来政権を獲得した場合に「言論の自由」に対する懸念を払拭できないのである。
前記の「共産主義の一元的価値観」や「政権批判を一切認めない社会主義憲法」を考えても、まさに「共産主義と言論の自由」は、理論的にも歴史的にも共産主義及び共産党の根本問題である。
ちなみに、社会主義国ベトナムにおいても、旧ソ連や中国と同様に三権分立はなく、立法・司法・行政は共産党の指導下にあり、共産党に対する批判は一切禁じられており「言論の自由」はない(川島博之「日本人の知らないベトナムの真実」20頁、38頁2024年育鵬社参照)。
共産党一党独裁は「自由な共産主義」と矛盾する共産党は冒頭で述べた通り、生産手段社会化により搾取のない「自由な共産主義」を主張しているが、それはマルクスの言う生産手段共有の「原始共産主義社会」にほかならず、人間社会の理想でもユートピアでもない「先祖返り」にすぎないと言うべきである。
また、志位議長は、旧ソ連や中国に自由がないのは、指導者が誤っていたこと、社会主義への出発が自由も民主主義もない後進国であったからであり、先進国である日本における社会主義建設とは根本的に異なると弁明する(赤旗2024年7月11日)。
しかし、スターリンや毛沢東などの指導者の誤りは、各国共産党の党是とされる「民主集中制」などにより日本でも起こり得ることであり、旧ソ連や中国だけの問題ではない。そのうえ、共産主義における自由の喪失を指導者の責任のみに転嫁し矮小化することは許されず、根本的には共産主義革命理論である「マルクス・レーニン主義」(「科学的社会主義」)の核心である「プロレタリアート独裁」(共産党一党独裁)という制度そのものに最大の問題があることを看過すべきではない。
このように共産党一党独裁は「自由な共産主義」と根本的に矛盾することは明らかである。また、自由がないのは後進国からの社会主義建設であったからやむを得ないとの弁明も、すでに革命後長年月が経過していることを考えると、到底理由にはならないと言えよう。