社会主義・共産主義国家と「言論の自由」

上記の通り、社会主義・共産主義国家においても憲法上「言論の自由」が認められている。しかし、「スターリン憲法」では、上記の通り「社会主義体制を強化するため」との条件付である。これは、中国、北朝鮮でも同じであり、社会主義政権を批判する「言論の自由」はあり得ない。それどころか、旧ソ連では社会主義政権に対する批判は、「政府を転覆させようとするすべての行為」に該当し、刑法上の「反革命罪」として死刑を含む重罪に処せられた。

中国でも社会主義政権に対する批判は、刑法上の「反革命罪」、現在では「国家安全危害罪」に該当し、死刑を含む重罪に処せられる。北朝鮮でも社会主義政権に対する批判は、「反党反革命分子」として、刑法上の国家転覆陰謀罪、祖国反逆罪、民族反逆罪、反国家宣伝・扇動罪に該当し、死刑を含む重罪に処せられる。中国については、香港、ウイグル、チベットに対する「言論弾圧」は過酷である。

このように、「政府当局者に対する批判の自由」(前掲「共産主義批判の常識」)を認めない以上は、実質的に「言論の自由」が保障されているとは到底言えない。

旧ソ連・中国・北朝鮮などの社会主義・共産主義国家が、欧米や日本などの自由民主主義国家と同様の「言論の自由」を認めない根本的理由は、哲学的には、自由民主主義が「多元的価値観」に立脚するのに対して、社会主義・共産主義は「一元的価値観」に立脚し、政治的には議会制民主主義ではなく、「プロレタリアート独裁」の政治体制だからである。

プロレタリアート独裁と「言論の自由」

中華人民共和国憲法第1条では、中国は労働者階級が指導する人民民主主義独裁の社会主義国家と規定されている。人民民主主義独裁とはプロレタリアート独裁の一形態であり、階級敵であるブルジョアジー(資本家や地主などの資産家階級)に対する独裁が行われるのである(毛沢東著「人民民主主義独裁について」334頁以下、世界の大思想35巻参照)。

マルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)におけるプロレタリアート独裁とは、「資本主義社会から共産主義社会への過渡期の国家がプロレタリアート独裁であり」(マルクス著「ゴーダ綱領批判」139頁、世界思想教養全集11巻参照)、「抑圧者、搾取者、資本家の反抗を法律によらず暴力で抑圧する労働者階級の権力であり、抑圧のあるところに自由も民主主義もない」(レーニン著「国家と革命」499頁、レーニン全集25巻参照)とされ、その実態は共産党一党独裁である。

このようなプロレタリアート独裁すなわち共産党一党独裁が自由と民主主義に基づく「言論の自由」と対立し矛盾することは明らかである。

日本共産党と「言論の自由」

日本共産党は、かつて、自民党から「自由社会を守れ」との激しい所謂「反共攻撃」を受けたため、1976年の第13回臨時党大会で「自由と民主主義の宣言」を行い、複数政党制、政権交代、信教の自由などの基本的人権を擁護発展させる立場を宣言した(日本共産党中央委員会著「日本共産党の70年」下巻50頁参照)。

しかし、日本共産党は、現在も党規約2条でマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)を党の理論的基礎とし、党綱領で「社会主義をめざす権力」(改定党綱領五の一七)と規定して、プロレタリアート独裁を容認している(不破哲三著「人民的議会主義」241頁「社会主義日本ではプロレタリアート独裁が樹立されなければならない」参照)。

そして、マルクス・レーニン主義の核心は暴力革命(敵の出方論を含む)とプロレタリアート独裁であるから(前掲「国家と革命」432頁、445頁参照)、日本共産党がマルクス・レーニン主義を理論的基礎とし、プロレタリアート独裁を容認している以上は、「政府当局者に対する批判の自由」(前掲「共産主義批判の常識」)である「言論の自由」と対立し矛盾することは明らかである。

「日本共産党の研究」を出版した評論家立花隆氏への「攻撃」

評論家の立花隆氏は、かつて、「日本共産党の研究(上巻・下巻)」(昭和53年講談社)を出版し、日本共産党の戦前の所謂「リンチ共産党事件」等を取上げて批判したところ、「反共分子」のレッテルを貼られ、党組織を挙げての狂気じみた激しい「文春反共デマ宣伝」攻撃を受け、共産党が国家権力を握った状態の下であれば、私に何が起きたかわからない、との恐怖の体験を述べておられる(同書上巻1頁以下、下巻480頁、502頁参照)。

上記が事実であるとすれば、共産党による「言論の自由」に対する、通常の「反論権」を超えた不当な組織的攻撃であり深刻な問題と言えよう。立花氏は、また「近代政治史を専攻し、反体制運動史を研究していた若い研究者が、私に加えられた党組織を挙げての攻撃を見て、共産党を歴史的な研究対象とすることに恐怖を覚えたといい、私自身も慄然とした。」(同書下巻480頁参照)と述べておられる。

さらに、評論家の佐藤優氏は、2021年総選挙での立憲民主党と共産党との選挙協力に関して、「それによって当選した人は自ら共産党の政策を忖度して共産党寄りになっていく」ことの危険性を指摘されている(「正論」2021年7月号)。「言論の自由」に関しても共産党寄りにならないか懸念されるのであり、少なくとも「共産党批判」は「自粛」することになるであろう。