薩長同盟にしても、薩摩藩側と、長州藩側に、本来「協力しあえたらいいよね」という理解自体はもともと存在しているわけですよね。それがなければそもそも成立しえない。

でも第一次長州征伐の頃の恨みとかあって、お互い不信感が渦巻いていて、「提携できたらいいよね」という話だけでは全然話がまとまらない。

その状況の中で龍馬はまず薩摩藩の西郷や小松帯刀とちゃんと意思を共有した上で、長州藩側に潜り込んで話を通していく営業マン的な役割を果たしているんですね。

「長州藩側の窓口になりえる人」が長州藩内部の情勢変化によって移り変わっていく中で、新しいツテを見つけて色んな経路で話を通してキーマンを動かし、長州藩と薩摩藩の間を結びつけていく実働役になってるんですが、このあたりかなり「BtoBの優秀な営業マン」っていう感じが現代人目線では最も適切だと思います。

また、単に「薩摩藩の言う通りに動いて」るだけじゃなくて、薩摩藩側としては「協力関係」ぐらいで留めておきたくて、長州藩側としては「軍事同盟」にまで昇華したいという思惑の違いがある中で、その間でうまく立ち回って「話の流れの勢いで薩摩藩を明確な軍事同盟に引き込んでしまう」ような動きをしたような形跡もあるらしい。(これは町田氏も出演していたNHKの動画で詳しく述べられていました)

で、「薩長同盟に坂本龍馬は関係ない」って今ちまたで言われているのは、まさにその「条約」が結ばれる会議とか、条文の細かい検討とかの会議に坂本龍馬は参加してないっていうだけなんですね。

「下地ができて実交渉に入ったんだから、もう後は”役職者”の出番だよね」

…という感じ。

だから、司馬遼太郎の小説に出てくる、

「渋る西郷に対して木戸がブチ切れ、もう長州へ帰る!と騒いでいた所に龍馬が登場、西郷を一喝して間を取り持ち締結させた」

…という歌舞伎の名シーンみたいな話は確かに全部ウソなんですよ。(これはのちのち明治中期に”元勲が調子に乗ってフカシた内容”をさらに司馬遼太郎が肉付けしたシーン)

なぜなら、龍馬が京都についた日付よりも数日前に事実上の六か条の盟約の条文は既に握られている証拠があって、木戸の送別会まで開かれていた一次資料があるからだそうです。

ただ、「坂本龍馬が裏書きをした」のも史実なんで、この交渉課程で龍馬が何もしてなかったらわざわざこんな事しないですよね。

原本が公開されたという高知のニュース動画↓

木戸孝允側からすれば、この条文が「口約束」で終わってしまっては、薩摩側からすると都合悪くなったらシラを切る可能性があるわけで、ここで「薩摩藩側にたってるがある意味第三者的存在」の龍馬の裏書きを求めた経緯があるそうです。

また、「薩長同盟は多少関わったとしても大政奉還は全然何もしてないよね」という話については、町田氏の本では「オリジナルな発想の提案」にかなり深く関わっていた可能性が指摘されています。

これも現代にあてはめてもわかるように、組織が「一つの策」に従って動いていく時って、「誰が発想のオリジナルか」みたいな事が完全にはわからない感じで、徐々に「定説」として共有されて大きな流れになっていく事が多いですよね。

Apple社が今世界中でザックザクに儲かってるiPhoneとかの「アプリ経済圏」ビジネスを他社に解放するのに最初スティーブ・ジョブズは反対だったって聞いたことがあるんですが、それでもそれを粘り強く実現に向けて動かして後々の巨大な儲けにつなげた「誰か」は確実にいたはずだ、みたいな話ですね。

それも「一人だれか特定の人」がいるんではなくて、「本当にゼロから発想して最初に言葉にした人」と、それを目ざとく見出して「それ良いじゃん!」ってなって何度も何度も熱弁して形にする役割の人もいる。そしてそれが形になってきたものを「正式な組織の方針」として決定する役割の人(Appleの場合はジョブズ)もいる。

「大政奉還」にまで至る流れは薩土盟約が結ばれた頃から一つの流れになっていたわけですが、「船中八策」自体の実在は否定されているけれども、その元となった「大条理」プランというものが当時の海援隊日誌の中に見られるらしいです。

これが「最初のオリジナル」かどうかはわからないが、「倒幕勢力の中の定説」の位置に押し上げられていくプロセスの中では龍馬の貢献がないはずはない、ぐらいの状況ではあるらしい。

2つの本を読んだ上での個人的な感想として、そもそもあれだけ「藩単位」で世界が動いている情勢の中で、その間を巧みに動き回ってネットワークし、実際の武器取引で結びつける事も含めた関係性を作っていった龍馬の存在があってこそ、この「薩長同盟」にしろ「薩土盟約からの大政奉還までの流れ」にしろが実現可能であったというぐらいは言えると思います。

ただし、そういう立場の人は他にも何人かいて、それらの功績が龍馬一人のものに統合されてしまっている例もあるらしい。町田氏の本では、龍馬のストーリーでいつも過小評価されてる”饅頭屋長次郎”が実はすごい優秀な存在だったという論証がされています)

4. 「司馬史観」が歪んでいるのはどういう部分なのか?

で、ここまでのまとめ方をすると、いわゆる「司馬遼太郎の竜馬」がどういう風に実相とズレているのかがイメージできるようになってきたのではないかと思います。

昨今の「坂本龍馬はうさんくさい」というイメージは、この「司馬史観」自体が現代社会とズレていて、結果として「司馬史観の竜馬がうさんくさい」→「坂本龍馬(特に坂本龍馬が好きだと言うヤツ)はうさんくさい」という印象に繋がってしまっているのではないかという感じすら私は持ちました。

司馬遼太郎がもてはやされた時期の「かっこよさ・優秀さ」と、現代の「かっこよさ・優秀さ」に隔たりがあって、司馬遼太郎世界のかっこよさは漫画でいうと「課長島耕作」とか「サラリーマン金太郎」みたいな世界観だったと言えるんじゃないかと(笑)

むしろ、現代社会における組織の動き方を実態として知っている人ほど、史実の龍馬を知れば

「全然うさんくさくなくて、ちゃんと組織の間を取り持って実際の盟約に結びつける優秀なネゴシエイターじゃん」

…的ないわゆる「仕事デキル感」が湧いてきて、「うさんくさい印象」が払拭されるところがあるのではないかと思いました。

全体的に、司馬史観の現代に合わない部分は、以下のようにまとめられるかと思います。

・組織が嫌いすぎる(小松帯刀のような優秀な組織人の貢献を無視しがち) ・組織の仕組みを理解した上で利害関係を調節し物事を動かした史実の龍馬の「優秀なBtoB営業マン」的な要素が評価できない ・結果として「鈍重で物わかりが悪いアホな組織人ども」を、「何者にもとらわれない自由人同志の気概の共鳴」だけで一喝してぶち破り、巨大な山が動く・・・という展開になってしまう。 ・「色んな人のアイデアが折り重なって一つの流れになり、物事が実現する」という理解が薄く、ハグレモノの個人が脳内でひねりだした「ぼくのかんがえたさいきょうのアイデア」が、「規格外の度量を持つ例外的に素晴らしい上司に取り立てられて無双する」話になってしまう

むしろそういう「司馬史観」の「島耕作テイスト」が剥げ落ちた方が、現代人は坂本龍馬の強みを偽りなく理解できる環境になってきているようにすら思いましたね。

5. 織田信長の歴史的再評価も同じ流れがある

と、ここまで坂本龍馬の評価の変遷とその意味について見てきましたが、ちょっと似たような話が織田信長の話にもあるんじゃないかと思っています。

何年か前から、織田信長が実は「破天荒で革命的」な人物ではなく非常に常識的な人物だった・・・っていう説が出てきているという話をネットでちらほら見てたんですよね。

若い頃アホなフリして変な格好して練り歩いて百姓の子供と相撲取ってたみたいな話は史実みたいですが、その後大人になってからの

・自分を神と思い、あらゆる権威を否定して破壊し尽くそうとする魔王のような信長 ・楽市楽座や鉄砲の三段打ちなど、「革新的なアイデア」を次々と編み出した旧弊にとらわれない奇策を次々編み出す天才の信長

…こういうのは全部史実の裏付けが薄いそうです。

というか、現代人が普通に考えて、室町幕府や天皇の権威を利用するだけ利用した方が得策なのは間違いなくて、「それも全部否定する革命家信長」みたいな存在である方が「非合理的」ではあるはずなんですよね。

また、「楽市楽座」は信長の独創ではないし、「鉄砲三段打ち」は史実ではないそうですが、ただじゃあ信長が「革新的」でないかというと全然そんなことはないんですよ。

なんか「個別のアイデア」をいかに応用して国全体で採用し、徹底的に横展開して「仕組み化」していくか・・・みたいなところが本当の強みだというか。

「長篠の戦い」において、過去に思われていたほど武田軍と織田・徳川軍の「鉄砲の数」には差がない(勿論信長軍の方がかなり多いことは確かですが)ことがわかっているそうですが、

信長方の火薬や鉛玉は東南アジア産のものがかなり含まれている事がわかってきた

…という話を何年か前にNHKの番組で見ました。

要するに「鉄砲を揃える」ことは武田方も結構やってたんだけど、そこに使える鉛玉と火薬の面で、堺を抑えて当時のグローバルネットワークの中での物量作戦を展開できた織田方とは段違いだったってことですね。

要するに、

・無駄に権威にたてついてみせることが革新的と考えられていた時代 ↓ ・既にある権威や仕組みを否定せず使い倒して、全く違うレベルの広域ネットワークを利用して大きな物量を実現する事が革新的だと理解される時代

…という「社会の変化」があって、

・ハグレモノの個人が脳内でひねりだした”ぼくのかんがえたさいきょうの起死回生の策”

ではなくて、

・集合知的に色んな人が考えたアイデアの萌芽を統合し、スムーズに組織全体に横展開して徹底的にやる事が勝利に繋がる

…という理解になってきているのだと言えるでしょう。

これも、むしろ現代人からすれば、

「俺は神だ!将軍だろうが天皇だろうが逆らうやつは全員倒す!」

って叫んでる信長よりもよほど「本質的な革新性を持っている存在」だということが理解できるんじゃないかと思います。

【まとめ】2010年とは違う「本当の革新性」を共有できる社会にしていこう

「司馬史観」の限界は司馬遼太郎氏個人の限界というより(世紀の大天才エンタメ作家なのは間違いないと思うので)、当時の社会の認識力が”課長島耕作レベル”だったという受け手側の限界なはずなので、それがこれから時代に応じてアップデートされていく途中なのだと思います。

今後、現代の状況に合わせた、「新しい描かれ方」が、今後の大河ドラマとかで才能ある書き手によってなされていくのだと思います。(2018年の”セゴドン”は見てないのでよく知りませんが、小松帯刀がちゃんとメインキャラクターになっていたらしいのは新しい流れを反映していると言えるのかも)

で、2010年ごろが「司馬史観的な坂本龍馬のピーク」だとして、そこまでは「司馬史観における古いアナクロな変革者のイメージ」をみんなで追いかけていたところがあるわけですよね。

例えば、2005年に堀江貴文氏がフジテレビ買収しようとしてアレコレと揉めてましたが、その当時堀江氏が目指していたことと、2020年の「映画鬼滅の刃 無限列車編」の大成功を生み出したビジネスモデル上の工夫には共通点があるんですよ。

「テレビ局」が権利を持ちすぎている状態から分離して、どこかが一体的に握ってコンテンツを世界展開できる環境を整える必要があるという問題意識は同じだった。

ただ、2005年から2020年までの間に「変革者」のイメージが進化して、アニメ制作の事がちゃんとわかっている人が細かい現場レベルの問題も目配りした上で「変革」を起こしたので巨大な成果に繋がった。

堀江氏のような「資本の論理による改革」を潰してしまった事が日本の停滞を招いた…と考えている人も多いと思いますが、そういう「改革」を取るのか、「日本社会のオリジナルな安定性の維持」を取るのか「どちらか」を選ばないといけない時期を超えて、これからは「変化」も「日本らしさの維持」もどちらも可能になる流れに持っていけるはずで、堀江氏のような才能を潰す必要も徐々になくなっていくだろうということですね。

他にも、「坂本龍馬が大好き」と公言してた孫正義氏が菅直人政権を後押しして導入した再エネ固定価格買取制度(FIT)は、当初あまりに太陽光の値段が高すぎた事が、後々の日本の再エネ行政上良くない影響を持った・・・ということは、結構再エネ推進派の人も言ってたりするんですよね。

ドイツとかがなぜ脱原発できたかというと、色んな再エネがバランス良く伸びていて、特にバイオマスという「実は火力発電」の割合が結構あって、日本みたいに「太陽光一本足打法」みたいになってない事がアドバンテージのひとつになっている。

この問題は、「Aという案は正義の再エネ推進派の意見だから賛成」「Bという意見は悪の自民党の意見だから間違ってる」みたいな「尊王攘夷か開国か」レベルの話では全然適切に扱えないんですよね。

例えば逆に、今のような円安環境では、もういっそ「クソ安くなってきた太陽光パネルを余ったら電気捨てちゃってもいいぐらいの精神で増やしまくる」という作戦も今後ありえて、お日様照ってる時間だけでも燃料使わずに済めばその分中東やオーストラリアへの支払いが”直撃的に減る”という「再エネはめっちゃ国益」という要素もある。

一方でそれをやるには、「再エネのバックアップ用の火力発電所の維持費用」を再エネ側にも負担してもらわないといけないんだけど、この部分が再エネ推進派にめちゃくちゃ抵抗されてなかなか進まなかったんですよね。(最近やっとはじまりました)

要するに「正義の再エネ派と悪の自民党と東電」あるいは逆に「売国奴の再エネ派と愛国者の自民党と東電」みたいな、一昔前の世界観ではこの問題を適切に扱えない中で、ここ10年ずっと迷走してきてしまった側面がある。

でも、先日の「再エネタスクフォースの資料に中国企業のロゴが映り込んでたスキャンダル」以後、ヤバいと思ったのか再エネ推進派の中心人物である飯田哲也氏が毎日新聞に出ていた以下の記事は、

4~5月がピーク「再エネを捨てる出力制御」避けるには?

再エネを捨てないで!「東電と九電の新対策」効果は?

「今の日本の電力システムの現状」を無意味に全否定しないで、「明日からできる・関係者の多くにとって負担が少ない対策」について提案されていて「別人か?」って思ったりしました(笑)

っていうかこの飯田さんていう人も大昔の著作とか読むとすごいマトモな人だと思っていたので、「”ぶっ壊せ”型政治の時代」にオカシクなっていた人が徐々に正気に戻りつつ流れがあるんじゃないかと。

ただ、「お互い全否定しあって混乱していた」時期でも、まるっと10年単位で振り返ってみれば結局自然エネルギー財団が主張してきた北海道・東北と東京を結ぶ広域連携線の整備は実行される事に決まりましたし(これは長期的にはすごい大事な資産になるはず)、一方で再エネ推進派がゴリ押しすることで余計に安定供給が損なわれかねない施策はちゃんと拒否されてきた経緯もある。

つまり、「ほんとうに必要なこと」は最終的には採用されたし、「採用されるべきでなかったこと」は適切に拒否されてきたと言っていいんじゃないかと。そのプロセスは物凄い混乱して時間がかかりまくったという問題はあったにせよね。

だから四方八方から全力で引っ張りあいをして混乱した割には、徐々にではありつつも「あるべき姿」に向かって変わってきた10年ではあると思います。

だから今後はもっとスムーズにお互い協力しあえるようになっていけば最速で改革を進めていける情勢になるはず。(これは電力行政に限らず日本のあらゆる課題について言えることだと私は考えています)

要するに日本の電力行政も、

「俺達は善、あいつらは悪」みたいな「尊王攘夷論」レベルのエネルギーで混乱させられてきた過去十数年

「ちゃんと色んな事情を全部テーブルの上に乗せて、最適な打ち手を協力して打っていく段階」

…に転換できる情勢まで来たってことです。

私が2012年に出した本で主張していたのは、「そういう連携」が縦横無尽に国内で共有できるようにならないと日本の復活はありえないということで、それをまさに『21世紀の薩長同盟』と例えていた本だったんですね。

以下記事の最後で書いたように、今はバラバラになってる専門家の知見をまとめあげて、一つの解決に導いていく「坂本龍馬的なコーディネーター」が今の日本には何千、何万人と必要なのだ、というのは、今回「史実の龍馬」について調べてみて改めて思いを強くしました。

このまま、「うさんくさいやつ代表の龍馬」でなく、「実際に歴史の中で大仕事を成し遂げた龍馬」のモードで、社会の中の問題を解決できる連携を次々と打ち立てていきましょう。

そういう発想を私は「メタ正義的な解決」と呼んでおり、よろしければ大きな社会問題から、実際に経営コンサルタントである私のクライアント企業でここ10年で150万円の平均給与を上げられた事例などを元に書いた以下の本もぜひよろしくお願いします。

『日本人のための議論と対話の教科書』

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。

編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

【関連記事】
「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
大人の発達障害検査をしに行った時の話
反原発国はオーストリアに続け?
SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
強迫的に縁起をかついではいませんか?