『新説 坂本龍馬』
こっちの方は、学会の色んな説を紹介しながら一次資料に基づいて着実な展開がしてあって、信頼感はかなりありました。(一方でマニアックな話が多いとも言え、さっきの加来耕三氏の本と両方読むと全体像がわかって良いかもしれません)
この二冊の間でもかなり矛盾してる内容もあってまだまだ「定説」にはなりきってない感じなんだろうなと思いますが、ざっくりとした全体の印象として「史実の龍馬と伝説の龍馬の違い」がどういうところにあるのか?を以下にまとめます。
(余談ですが、こういう独立に色々と深まった地道な研究が”定説”レベルにまとまって行くときに、”一般の世の中のその当時の問題意識との共鳴”が必要とされる構造があるように思います。新しい龍馬像も今後そうなっていくんじゃないかと)
2. 龍馬伝説はなぜ生まれたのか?まず、これは加来氏の本で詳しく述べられていた事なんですが、なぜ「坂本龍馬伝説」部分がここまで大きくなっているのか?という話をします。
この「坂本龍馬ブーム」っていうのは歴史上何回か繰り返されてきていて、最初の「龍馬ブーム」はすでに明治時代にあったんですね。
当時、「薩長藩閥政府」に対する反感が高まっていて、特に倒幕に功績があった「薩長土肥」の「土肥」の方はあまり明治政府で活躍できてなかった恨みもあって、土佐をベースとした自由民権運動が盛り上がってたんですね。
その中で、
「幕末の歴史の中で土佐藩出身でも大活躍した英雄がいたのだ」
…というストーリーが必要とされていた土壌があった。
結果として、
明治16年に発表された『汗血千里駒』という新聞小説なんかをキッカケに、「坂本龍馬伝説」が広まった流れがある。
その後、日露戦争の時に明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に龍馬が出てきた…とかいう伝説が流布されたりとか、折に触れて「龍馬ブーム」が起きるんですね。
で、当時はまだ坂本龍馬を直接知ってる元勲や市井の人が結構生きてましたから、龍馬ブームで雑誌とか新聞社とかが元勲にインタビューに行って、そしたらお調子者が結構多そうな元勲さんたち(とか郷土の英雄を神格化したい土佐の一般人)がアレコレと期待に応えてフカシまくったエピソードが追加されていったらしい。
日露戦争は明治後半ですから、老人になった元勲たちが20代の頃の事を思い出話するわけで、そりゃ実態と違う部分も沢山出てくるよねという話になる。
司馬遼太郎の小説なんかは、この時期の「フカシ入った思い出話」なども全部史実と捉えた上で、さらに大作家の想像力で脚色された「二重の伝説化」が行われてるわけですね。
さらに言うと、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を書いていた頃は「明治維新百年」という節目で、
「幕末期〜明治の日露戦争までの日本は正しかった」「昭和の戦争期だけがおかしかった」「そして今また日本は高度成長できている」「やはり昭和の精神論でなく合理主義で個人で動く英雄行為が日本を作るのだ」といういわゆる「司馬史観」
…がもてはやされた時期だった事でさらに「人々の思い入れ」を吸い込んで伝説が大きくなっていくことになります。
要するに坂本龍馬は、
「薩長藩閥政府」的な(今の自民党とかも含む)「その時々の日本のお上」的なイメージに対する不満を人々が持つ時に、人々がめいめい勝手に「完璧な思い入れ」ができる位置にある存在
…として機能してきたのだと言えるでしょう。
で、この
A・幕末期の当事者の日記などの一次資料に出てくる史実としての龍馬 B・明治期の龍馬ブームで色んな人が色んな証言をフカシまくった「第一弾の伝説化」 C・それらをもとにして、昭和の高度経済成長期の「明治維新百年」ムーブメントの中で司馬遼太郎が完成させた「第二弾の伝説化」
…という三重構造があって、だんだんこの「A」だけを取り出してみよう…という流れがここ十数年の間歴史学界の中で積み重ねられてきた事情があるんですね。
では、じゃあその「A」の史実の部分だけを抜き出した龍馬はどういう存在なんでしょうか?
3. 個人的にはむしろ以前より「龍馬やるじゃん」と思った(笑)この記事冒頭にも書きましたが、ここ10年ちょいの間にだんだん日本で「評価を落としてきた坂本龍馬」という雰囲気に僕も結構影響受けてたんですが、個人的には上記の二冊読んで、「龍馬案外やるじゃん」って思ってまた好きになりました。
「薩長同盟も大政奉還も実は全然関わってないカスなんだよ。素浪人のリョーマごときにそんなことできるわけないだろ?」
…みたいな言説を最近ネットで見るんでそうなのかな、と思ってたんですが、実際は「かなり重要人物」なのは明らかというか、「火のないところに煙は立たない」感じで、むしろ社会経験がちゃんとある人ほど「龍馬が何もしていない」という説には反対の意見を持つと思います。
現代的なイメージ的には、
優秀なBtoBの営業マン
…みたいな感じなんですね。