■船の転覆後にたどり着いた岸で殺害か
一方マイケルは、1961年にニューヨークで展示する珍しい品を探し、ニューギニアを探索していた。
ジャーナリストであり、作家のカール・ホフマンは、ニューギニアでマイケルに起こったことを知っていると語る。彼は自著の『サベージ・ハーベスト』(日本語版『人喰い』亜紀書房)にそれを詳述している。
旅行中マイケルは、南西部の海岸沿いに船を進めていたが、ある日、その船が転覆した。
マイケルは双胴船の転覆後、16キロを泳ぎ、岸にたどり着いた。しかし、そこは白人の生贄を探すアスマット族の住む地域だった。彼はアスマット族の男の一人に槍を突き刺され、首の後ろに斧を振り下ろされ、マイケルは絶命した。そしてアスマット族は、儀式を行ったのだ。
アスマットの首狩り儀式の書によれば、彼らは最初に敵の頭を外し、それから首から背中に切り込みを入れ、内臓は除去される。
グループが呪文を唱えている間、生贄の足と腕は火にくべられる。焦げた身体の部分は、全員が味わえるように回される。生贄の血は、アスマット族の身体に塗られる。頭が完全に調理されると、彼らは頭皮を取り、脳を取り除き、食べる。食べられなかった部分も、全て取っておかれて、武器、もしくは宗教的な象徴として使用される。
「もしアスマット族が、マイケルを殺したなら、彼らはきっとマイケルをこう扱っただろう」と、1ヵ月もの間、通訳を介さずにアスマット族と共同生活をしたホフマンは話す。