イタリアのジャンルカ・キオディーニは、世界の果てを訪れ、珍しい原住民の写真を撮影する旅行写真家である。

 今回キオディーニは、オーストラリア側に位置するニューギニアのジャングルの奥深くを訪ね、アスマット族の男性、女性、子どもたちの写真を撮影した。

 この原住民は、生贄の儀式で知られており、ニューヨーク州知事、そして米国第41代副大統領のネルソン・ロックフェラーの5番目の息子マイケルを60年前に殺害し、食人したと言われる部族だ。

ロックフェラーの御曹司を食べた原住民がいた!? 未解決事件の全貌とは…
(画像=イメージ画像 Created with DALL·E,『TOCANA』より 引用)

■ロックフェラーの御曹司がニューギニアを探索

 民族学者のマイケル・ロックフェラーは当時23歳、この時代、アメリカで最も裕福な男性の息子であった。ハーバード大学で民族学を専攻、その過程でニューギニア・イリアンジャヤの部族に興味を持ち、特に、ダニ族と当時首狩りの風習が残っていたアスマット族の研究を行い、彼らの木彫りの美しい工芸品を収集するなどしていた。

 アマゾンとは違い、ニューギニアの土地は、天然資源の面ではあまり恵まれていなかったので、西洋の国々はニューギニアに興味を持っていなかった。

 しかし、1800年に東インド会社から島々を引き継いだオランダ人は、これらの植民地に関心を示し始めていた。ニューギニアに送り込まれたオランダ政府の冷酷なリーダー、マックス・ラプレは、アスマット族を率いる5人に銃を向け、撃ち殺した。

 この残酷な虐殺は部族民を根底から打ちのめし、烈火のような怒りを植え付けた。アスマット族は、死には死をもってあがなうべきと信じている。ゆえに、もし彼らの一人が殺された場合、彼らは精神的なバランスを保つために、復讐をしなければならないと信じていた。