- 代替案の現実性は?
もちろん、その建国記念文庫の部分も木を切らずに済む代替案なども反対派の一部から提案されていて、たとえば私がTBSの番組にでた時にも紹介されてた「イコモス案」というのが有名です。(詳細は私の記事で解説してます)
ただし、このイコモス案(他の案も)なんですが、反対派の人はこの代替案の実現可能性がなぜかなり難しいのかっていうことをあまり理解してない人が多いんですよね。
イコモス案について詳しく書かれた日経クロステックの記事を読んでも、建築系メディアだけにプランの「内容」についてはめちゃわかりやすく書かれてるんですが、このプランの実行上の経済面での課題点についてはほとんど理解できてないような書きぶりなのが気になりました。
というのは、今の事業者案の骨子は、「保留床売却」というスキームによって、ホテル棟と南側の伊藤忠ビルの建替えを行うことによる収入によって事業費を全額賄うことになっているからです。
その後「ちゃんと情報公開しろや」という声に答えて事業者が公開しましたが、以下記事にあるように総工費3490億円はすべて「保留床処分金」によって賄うことになっています。
神宮外苑再開発 高層ビルフロア活用などで全事業費賄う計画
上記の情報公開がなされるまでの、事前のメディア報道では『空中権取引』による…と書かれていた事が多かったのですが、これは東京駅の今の形での再建にも使われた方法ですね。
これは、東京駅側が「あまり高いビルを建てない」ことで使わなかった「容積率」を販売することで、新丸ビルなどの位置に高いビルを建てることが可能になり、JR側は資金を調達できたという方式です。
「保留床処分金」というのは、結構複雑なスキームなんで、ちょっと簡単には説明できませんが、ご興味があればこの記事などを読んでいただければと思います。
とはいえ「空中権移転取引」と「保留床売却」は本質的に見るとそこまで違う取引ではなく、「複数の再開発事業」の間での取引が「空中権取引」、「一つにまとめた再開発事業」の中で同じことを行うと「保留床売却」になります。
どちらにしろ、三井不動産が建てるホテル棟(ここからは借地権も安定的に入るはず)と、伊藤忠ビルの建替えを行わせることで、事業費全体を捻出するプランになってるんですね。
こうすることで、公的機関であるJSCもほぼタダで建替えが可能になり、また多目的に使える設計にすることで運営費用をそこから得られる計画になっています。
だから、イコモス案にしろ色んな代替案にしろ、この部分がないと、「あらゆる費用を全部どこかから捻出しないといけない」ことになるんですよ。
ここの部分がちゃんとわかった上で、
・「とはいえビルが高すぎるだろ」 ・「ホテル棟はともかく伊藤忠の方はやめろ」
…とか交渉していくならまとまる可能性もあるんじゃないかと個人的に思いますが、反対派の多くは
ただただ強欲な事業者が金儲けのためだけにやってるんだろう
…という世界観でめちゃくちゃ悪辣な印象で批判したりするんで、現実的に着地可能なプランには絶対ならないだろうな、という感じになってしまうんですよね。
このあたりの「反対派の態度」についてどう考えるべきか、という話についてあるエピソードがあって…
TBSの番組に出たのは私と、強硬な反対派で知られるイコモスの石川幹子氏、そして自民党議員の務台俊介氏(どちらかといえば反対派)だったんですが、終わった後名刺交換したメールアドレスに務台氏がメールしてきて、すごい怒ってたんですよね。
番組では石川氏が、実際の事業費や内苑維持費をどう出すのか?という議論について、
「いまだにこんな”稚拙な議論”に終始していることに関して私は遺憾です」
…とか言ってたことにすごい務台氏が怒ってて、確かにその怒りには納得できるところはあるなと思いました。
というのも、「簡単です、こういう事例があるんですから!」みたいに石川氏が言ってる話を後で調べてみたら、「宗教団体でも公金を入れられた例もある」という程度の話でしかなくて、これからそれを実現まで持っていって安定的な資金手当をするまでの途方もない大変さを考えると・・・
ここまで読んだらわかるとおり、実行者側は、内苑の森の維持費の捻出とか、色々な老朽化するスポーツ施設の建替えを”公費負担ゼロで”行うために、かなり知恵を絞って動いてきていて、そしていくつか木を切る必要がある部分はあるとはいえ、「全体として木の本数は増える」ぐらいの良識的な案にまとめてるわけですよね。
ここでいきなり、国際機関の威光を振りかざして「先進国の欧米ではこんなことありえないです!」とか嘆いてみせたり、村上春樹とか坂本龍一みたいな「著名人」のパワーで「悪辣な事業者を許すな!」みたいなトーンで攻撃してきたら、まとまる話もまとまらないよな、という風に思いませんか?
5. 「悪の事業者 vs. 正義の市民」ファンタジーをいかに脱却できるか?確かに、この問題は、確かに事業者側に強引なところがあったのは確かなんですよね。批判を受けてだいぶん情報公開も進んだけど、最初は総工費も空中権取引の話も全然公開されていなかった。
一方で、なんで事業者側がそこまで密室的になるかっていうと、この問題について
資本主義の毒に侵された悪の事業者どもが金儲けのためだけに都民の貴重な財産を破壊しようとしている!大事な木々を切り刻んでなんの痛痒も感じない汚らわしいケダモノどもの悪辣なプランに、私たち高潔な正義の市民たちが立ち上がるのだ!
…みたいなトーンで徹底的に攻撃してやろうみたいな声が一方で大きすぎて、「密室じゃないと話まとまるわけないじゃん」状態になっていたこともそれ自体問題だと思います。
そもそも、
「内苑の森の維持費を出すための現実的に色々と考えられた80点の案ではある」という前提の上で、じゃあもっと良くする方法もあるのでは?
…という議論ができる国であればこんなことにはなってない。
これは事業者側だけが悪いんじゃなくて、国民全体の「議論する力」の問題というか、メディアも誰かを血祭りにあげて炎上させてそれでスッキリみたいな話をいかに超えて、ちゃんと多面的な現実の複雑さを掘り下げる記事が書けるようにならなければ、本当にこういう議題をオープンに扱うことは不可能だと思います。
「世界には”巨悪”がいて、それを打ち倒しさえすれば世界が良くなる」というファンタジーを乗り越えたところで、ちゃんと問題自体を多面的に見て議論し、その解決策を探っていくような議論がメディアでできるようにならないと、こういう機微の問題をオープンな議論で扱うのは絶対不可能なんですね。
でもそういう問題意識は結構醸成されてきてはいますよね?
これは「都知事選記事三本」の後編である小池さんに関する記事でも書きましたが、私はメディアやウェブ発信で結構
社会の中になにか問題があった時に、「安易に誰か”巨悪”を設定して叩いて終わり」みたいな紋切り型のガス抜き議論でなく、その問題の背景を深堀りしてどこがスレ違っていてどうすればいいのかを掘り下げるようなメディアの発信こそがこれからの時代には必要なのだ
…という話をすることがあるんですが、そうすると時々、SNSを通じて同世代のマスコミの「中の人」から、
「実は自分もそう思っていたんだ。これからのマスコミの役割はそれだと思う。世代交代もしてきていますし私も頑張ります」
っていうメッセージを貰うことがまあまああるんですよね。
だから、そういう問題意識を持ってる人は既にたくさんいるんだなあと感じるし、そこには希望を感じます。
これも小池さんの記事で書きましたが、小池都政はただただ無駄使いしてる放漫都政ではなくて、調べてみるとむしろ相当やり手な予算のリバランスを行ってる側面もあるんですよね。
その「密室的有能さ」を乗り越えたいなら、ただただ「敵」を攻撃して悦にいるプロレス議論を超えたようなレベルの議論がちゃんとできるようになっていかないと。
今回の都知事選、石丸候補は20−30代、小池候補は40−50代、蓮舫候補は60代以上が支持者の中心・・・っていう記事を読みましたが、そういう意味ではこういう
「巨悪」を設定してそれを叩きさえばいい
…みたいな「20世紀型の政治的議論」は日本ではどんどん終焉に向かいつつあるのは大変希望が持てることだと思います。
蓮舫さんになったらバンバン「事業仕分け」してやるぞ!みたいなこと言ってますが、実際に考えると小池さんのほうがよほど「全然揉めない見事な予算組み換え」を行ってたりするわけですよね。
「敵」を設定してそれをぶっ叩きまくれば何か賢いことを言えたような気になってるという幼児性からは卒業するべきときが来ているということなんですよ。
6. 「巨悪妄想」が、マトモなリベラルをクラウディング・アウト(押し出して排除)してしまう問題TBSの番組に出たときにも言いましたが、「あの内苑の森」の荘厳さを考えれば、毎年10億円程度を公金で負担する事自体はまあまあ合理的だと思います。(そこまで実現することは政治的に死ぬほど大変でしょうが)
ただし!
ただしですよ、これから日本中で高度経済成長期に作ったアレやコレやの色んな施設の改修案件が目白押しにある中で、全部公費で、ってわけにもいかないのは明らかですよね。
欧州は日本より古い建物が保存されていて馬鹿な再開発はしてないように見えるかもしれないが、そもそも地震もないし日本みたいな湿気もない国で可能なことと、日本みたいな国でできることは全然違うことを直視すべきなんですよね。
東京駅をあの形で残すことひとつとっても、業界人が色々と考えて必死に工費を捻出するスキームを考えたからなんとか残せたわけですよ。
日本の「再開発」がワンパターンになっている事に対する違和感っていうのは広い範囲の人にあると思うし、なんとかしないといけないと思っている人は多い。
でもそれは以下の再開発についての記事でも書いたように、空中権取引による費用の捻出とか、工費や耐震問題なども含めた合理的な規制を考えることとか、「カネのこと」までちゃんと同じ目線で引き受けて一緒に細部まで考える姿勢があってこそ実現するわけです。
その「現実の難しさに向き合って一緒に考えよう」っていう姿勢がない、「20世紀型の巨悪妄想」に浸る人が多すぎると、実際には「リベラル寄り」の意見は全部現実に反映されなくなっちゃうわけですよね。
「巨悪妄想の蔓延」が、「現実的なリベラル的良心」をクラウディング・アウト(押し出して排除)してしまっている現象がここ10年の日本ではずっと続いていると感じている人は多いのではないでしょうか?
さっきも書きましたが「蓮舫支持者層」は後10年もすればどんどん(生命レベルの問題によって)減ってくるはずで・・・
その先で、まあまあリベラル寄りで具体的な議論ができる石丸氏みたいな層に「リベラルが再編成」された上で、「小池的ステルス型政治」と競い合うような社会になっていけば、今の日本に山積みの課題を一つ一つ解決できるようになるはずだと思います。
「人の話は聞かない」「妄想の中の”巨悪”を叩いて吠えていれば幸せ」みたいな日本の高齢男性たちのバカ殿ぶりを卒業するときは、もうすぐそこまで来ています。
日本をちゃんと「議論ができる国」に変えていきましょう!
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年6月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。