フランク博士の子孫たち
最後に、後日談めきますが、フランク博士のシカゴ大学時代の教え子で娘婿のアーサー・フォン・ヒッペル(1898~2003年)はマサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学教授。その長男のフランク・フォン・ヒッペル(1937~)もプリンストン大学の物理学教授で、核軍縮・核不拡散問題の専門家、クリントン大統領の科学技術顧問を務めたこともあります。日本の再処理・プルトニウム計画にも批判的な意見の持ち主として知られています。
私は30余年前、故伏見康治博士(名大・阪大名誉教授、参議院議員、世界平和アピール7人委員会委員)のご紹介でヒッペル教授の知己を得、プリンストンで会った際に祖父フランク博士の思い出話を聞きました。
ちなみに、フランク博士を中心とするマンハッタン計画参加科学者たちは、戦後、核廃絶、核軍縮を願って結集し、「原子力科学者会報」という専門誌を創刊しました。
現在も続くこの雑誌の表紙は、人類が核戦争勃発の危機(破局)に至るまでの時間を示した「世界終末時計」(Doomday Clock)で有名です。この雑誌には、私もヒッペル氏に頼まれて、日本の「非核三原則」と「核の傘」依存の関係などについて論文を寄稿したことがあります。
(2024年7月1日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)
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ジェームズ・フランク(James Franck)博士や「フランク・レポート」については、下記の書物が最も詳しく、権威あるものとされています。筆者は30年ほど前に友人のフランク・フォン・ヒッペル(Frank von Hppel フランク博士の孫、プリンストン大教授)からこの本を恵贈され、以来愛読しています。
”A Peril and A Hope – The Scientists’ Movement in America 1945-47” by Alice Kimball Smith (The MIT Press 1965)
著者はマンハッタン計画に参加した科学者の妻で、一流の歴史学者。標題の”A Peril and A Hope”はオッペンハイマー自身の言葉です。