オッペンハイマーの戦後の苦悩
そのことはさておき、上述したように、この映画は、オッペンハイマーの波乱万丈の前半生と、一転して戦後の苦悩や葛藤を、様々な同時代人との複雑な人間模様の中で丁寧に再現しようとしたもので、その点では見事に成功していると言えます。
オッペンハイマーは、アインシュタイン、シラードなどと同じくユダヤ人で、第2次世界大戦前に、ヒトラーのナチスドイツを逃れ、米国に亡命していましたが、ドイツが先に原爆製造に成功することを恐れて、マンハッタン計画に参画したわけです。
しかし、戦後はこの原爆技術が拡散し、国際的な原爆開発競争が起こることをいち早く予見し、その「パンドラの箱」の蓋を開ける役割を果たしたことを強く後悔し始めます。原爆が当初の攻撃目標であったドイツではなく、日本に投下されたことにも道徳的責任を感じていたようです。
この映画の中でも描かれていますが、原爆投下直後彼はホワイトハウスに招かれてトルーマン大統領に会います。その時のシーンが甚だ印象的です。
トルーマンがにこやかに「おめでとう!」と握手を求めたのに対し、オッペンハイマーは暗い表情でこんなことを言います。
「閣下、私の手は血塗られたように感じます」
トルーマンは苦笑を浮かべてこう答えます。
「ヒロシマやナガサキが恨むのは原爆を作った者ではなく、落とす決定をしたこの私だ」
オッペンハイマーはそれ以上多くを語ることなく立ち上がって退出するのですが、彼が部屋を出るときにトルーマンは、秘書に向かって、聞こえよがしに大声で
水爆開発をめぐる内部確執「あの泣き虫を二度とここへ寄こすな」
オッペンハイマーは戦後、核開発競争が国際的に加速化することをいち早く予測し、警鐘を鳴らすとともに、水素爆弾の開発にはつよく反対しました。原爆製造ですでに十分国家に貢献したと考えるオッペンハイマーは、原爆より桁外れに強力な水爆の開発には反対の立場をとりました。
一方、ルイス・ストロース(元銀行家。戦後創設された米国原子力委員会の初代委員の一人、のちに委員長)やエドワード・テラー(核物理学者)らは水爆製造を強く主張します。
こうした両者の水爆問題をめぐる陰湿な対立は映画でも詳しく描かれていますが、結局この内部抗争に敗れたオッペンハイマーは主導権を失い、失脚。トルーマンは1950年に水爆製造を正式に指令します。
オッペンハイマーは、戦後プリンストン高等研究所の所長に就任しますが、マッカーシー旋風による「赤狩り」の標的にされ、共産主義者たちとの内通の疑いで1954年に公職から追放されます。その後は、かつて国民的英雄視された大科学者にしては不遇な晩年を送りました。1967年62歳で他界した後、50年以上経った2022年になって、ようやく内通容疑が撤回されました。
日本への無警告投下に反対したフランク博士ところで、この映画では正面から取り上げられていませんが、日本人として、ぜひ知っておいてほしいのは、原爆の日本への投下に敢然と異議申し立てをした良心的な科学者が少数ながら存在したという事実です。
周知のように、マンハッタン計画に参加した科学者の中には、大戦直前か初期にヨーロッパから米国に亡命した多くのユダヤ人学者がいましたが、ドイツ生まれのジェームズ・フランク(1882~1964)博士もその一人です。
シカゴ大学の冶金研究所で所長をしていた彼は、マンハッタン計画への参加を打診された時、研究開発には参加するが、完成した後の原爆の使用方法については発言権を認めてほしいとの条件を付けました。
ところが、当初の攻撃目標であったドイツが、ヒトラーの自殺(45年4月30日)により無条件降伏したので、にわかに日本への投下案が浮上し、米国政府の上層部で極秘裏に議論が行われていました。
そのことを察知したフランクは、マンハッタン計画参加の一部の科学者に呼び掛けて、日本への無警告投下に反対する提案、いわゆる「フランク報告」(The Franck Report、正式名称は「政治的・社会的問題に関する委員会報告」)を取りまとめ、45年6月11日付けでスティムソン陸軍長官に提出。この報告書への署名者は、フランクのほか、プルトニウムの発見でノーベル賞を受賞し、後年原子力委員長になるグレン・シーボーグを含む計7名。まさに「七人の侍」です。
報告書のポイントは、原爆をいきなり日本に投下せずに、まず砂漠か無人島のようなところに、日本政府の代表を含め各国の代表を招き、そこで爆発させる。その後日本の対応などを見て次のステップを決定するが、最終的に日本に投下する場合は、軍事施設のみを目標とし、一般市民のいないところに投下するべきだというもの。
フランク報告は結局軍によって握りつぶされ、トルーマン大統領には事前に届かなかったとされます。しかし、この報告の内容と日本投下に関する議論がどのように行われたかは、現在の日本人にとっても重要な点です。かなり長い難しい文書ですが、ネット上に載っていますので、関心のある方は是非全文に目を通していただきたいものです。