「空気」による決定の必要条件
国民全員に終戦を納得させる空気が醸成されるためには、御聖断のような象徴的なイベントが絶対に必要なはず。よって、逆説的な意味で、終戦は昭和天皇の「御聖断」によって決まった、と信じる人が多ければ多いほど、「空気」による終戦の決定は効果的であり、どうしても政治的に必要な条件だということになります。
なお、御聖断とセットとなるものとして、当時の陸軍大臣だった阿南惟幾による、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という遺書を残した自決を特記すべきだ、と強く思います。なぜなら、御聖断だけでは、その後の陸海軍の反乱は抑えられなかったはずだからです。
実際、終戦直前の8月14日には、玉音盤奪取未遂事件だけではなく、鈴木首相の自宅襲撃など、戦争を継続させるため、旧軍は数々の血なまぐさい反乱を起こしています。しかし、阿南陸相の自決による、「終戦の空気」の強烈な拘束力のせいか、その後は目立った反乱は起きていません。
以上のように、用意周到に準備された「終戦の空気」の影響は極めて大きかった、と言わざるを得ないのです。開戦が空気で決定され、多くの国民が熱狂したように、終戦の空気には国民にも陸海両軍にも大きな抵抗はなく、米軍も拍子抜けするほどスムーズにすべてが進行して行きます。
そして、これらの出来事は、あまりにもスムーズに、それこそ空気のように自然だったため、人々の記憶から急速に忘れ去られてしまった。これこそが「空気」が実在し、現在でも存在している明確な証拠だ…と私は信じます。
終戦の「御聖断」は3回あったこのようなことから考えると、前出の『「聖断」の終戦史』にもあるように、第2回の「御聖断」は8月10日深夜のポツダム宣言受諾、そして第3回は8月14日の最終決断だと考えるのが妥当でしょう。
以上の理由で、「空気」の影響を最大化して、終戦処理を円滑に進めるため、3回目の御聖断だけが盛大に喧伝された。この結果、現在ではすっかり伝説となり「神話」と化してしまった、ということが最も真実に近いのではないでしょうか。
『「空気」の研究』の一貫したテーマは、大東亜戦争において、開戦や戦艦大和の特攻出撃などの決定的な出来事は、誰にも説明不能な「空気」によって決まった、というものです。もしそうだとするなら、終戦のプロセスにも大きな影響がないとおかしいはず。
そして、いままで述べたように、やはりこれは終戦でも同じことで、「空気」は極めて大きな役割を果たした、というのが私が納得できる結論となります。
ひょっとすると、開戦の経緯も、そんな神話化のプロセスによって出来上がったものなのかもしれません。
これに関しては、少し引っかかる点があります。山本七平氏は、開戦時の「空気」について、イザヤ・ベンダサン名の『日本教について』の中で、数々の驚くべき「事実」を明らかにしているのです。恥ずかしながら、再読して初めて気付きました。にもかかわらず、なぜ正直に『「空気」の研究』に書かなかったのかは謎というしかありません。
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金澤 正由樹(かなざわ まさゆき)
1960年代関東地方生まれ。山本七平氏の熱心な読者。社会人になってから、井沢元彦氏と池田信夫氏の著作に出会い、歴史に興味を持つ。以後、独自に日本と海外の文献を研究。コンピューターサイエンス専攻。数学教員免許、英検1級、TOEIC900点のホルダー。
『「空気の研究」の研究:ゲーム理論と進化心理学で考える大東亜戦争開戦と御聖断のサイエンス』