社会主義は未完成
社会主義はこうやって醸成されていくことになる。あたかもこれが差別の無い平等な人間社会実現の礎となると東欧の社会主義国家は礼賛したことだろう。
しかし、学問的解釈としての人間は、共産主義者や社会主義者が思い描くほど、彼らのイデオロギーに従順ではなかった。結果において、共産主義者と社会主義者は、人間を測り間違えたのだ。それが、ソヴィエトの崩壊であり、東欧諸国の社会主義国家の崩壊だ。二者共に、とてつもない格差と貧困と階級社会を生み出した。そしてそれは、いくつかの国において現在進行形でもある悲劇だ。
人は人を管理したがる。権力者は権力者とそれ以外を分断したがる。権力者以外の人々は、抑圧されていると考える。そしてその抑圧観念は、権力者が権力者として振る舞っているからだと考える。だから、社会主義における権力者は、権力者以外の溜飲を下げる目的で、互いを監視対象にしたがる。社会主義における権力者は自身の目ではなく、権力者に服従する者の目を自分たちの目として利用する。
時は進み、テクノロジーの進歩は、権力者の目を機械に置き換えている。今の中国やロシアが正にそれだ。正に機械論的な社会秩序としての監視が機能している。中国共産党が厄介なのは、その機械論的な民衆への解釈の上に法律があり、その上に絶対者として共産党員がいる。中国共産党は、それを公平で公正な秩序だと考えている。
この場合、監視される側の思いなどどうでも良い。機械論的に正しいことが、彼らにとって正しいことであり、最上位にある共産党綱領が絶対なのだから、綱領に基づく秩序は絶対的に正しいと言う、人間存在を放棄した社会統制のあり方を大真面目に機能させようとしているのだ。