平成12年末に起きた世田谷一家殺人事件は、殺人事件などの時効撤廃を盛り込んだ「時効廃止法」が成立していなければ、時効を迎えることになったかもしれない。

 実は平穏に暮らしている家族を襲い、子どもたちも含めて惨殺するという事件は、たびたび起きている。今回は特徴的な3事件を紹介しよう。

【日本怪事件】本当に残酷すぎる一家惨殺事件3選
(画像=UnsplashのJr Korpaによる,『TOCANA』より 引用)

【CASE1 練馬一家5人殺害事件 肉挽き機で死体をミンチ】

 動機と行われた犯行の残忍さの隔たりに驚くのが、昭和58年に練馬で起きた、一家5人惨殺事件だ。

 朝倉幸治郎(当時、48)は、不動産鑑定士であった。朝倉は不動産取引にも手を広げようと、事件を起こす昭和58年2月、練馬区大泉学園町の2階建ての競売物件を転売目的で、1億円以上の金を使い落札した。

 だが、そこには、まだ住人である白井明氏(45歳)一家6人が住んでいた。朝倉は何度も立ち退きを求めたが、白井氏は言を左右して応じようとしなかった。朝倉は裁判に訴えた。これに対し、白井氏は、「裁判を取り下げれば、すぐにでも引っ越す」と言ったため、朝倉はそれに従ったが、それでも一家は住み続けた。

 実はこの家の元の所有者は、白井氏の義父であった。白井一家は、立ち退き料を釣り上げるため、義父から居座り続けるように言われていたという。立ち退き料の相場は500万円だが、3,000万円を目標にしていたとも言われる。

 朝倉は落札資金を銀行から借り入れており、金利は毎月100万近くに上った。また、期限までに売却先に明け渡さなければ、3,000万円の違約金を払わなければならない。

「決着をつけよう」

 そう考えた朝倉が、マサカリ、ハンマー、包丁、ノコギリを携えて、白井家を訪ねたのが、6月23日の午後3時頃だ。

 玄関に出てきた妻の頭に、朝倉はハンマーを振り下ろした。リビングルームに逃げた彼女に追いすがってさらにハンマーで殴打し殺害する。それを見て怯えている、三女(6歳)と次男(1歳)もハンマーで撲殺した。さらにこの凶行の1時間後に帰宅した次女(9歳)も、朝倉の手によって絞殺された。

 凄惨な殺戮現場に、朝倉は居残った。午後9時半過ぎ、帰宅しておののく白井氏に、朝倉は“居座り”を非難し、マサカリで斬りつけて失血死させている。その後は、死体から血を抜いて解体し、肉挽き機を使って、一部をミンチ化してトイレに流した。

 後日、家に電話しても誰も出ないことを不審に思った親戚が、白井氏の隣人に様子を見るように頼んだ。隣人が訪れると、朝倉がいて「この家の人たちは引っ越した」と言う。不審に思った隣人による通報によって、警察官が駆けつけた。朝倉は一旦は勝手口から逃げようとしたが、警察官に捕まり殺害を認めた。

 平成8年11月14日、最高裁で死刑が確定。平成13年12月27日、死刑が執行された。朝倉の享年は66歳であった。

【日本怪事件】本当に残酷すぎる一家惨殺事件3選
(画像=UnsplashのJr Korpaによる,『TOCANA』より 引用)