目次
日本初のプレミアム・メーカー終焉、最後のプリンス グロリアへ

日本初のプレミアム・メーカー終焉、最後のプリンス グロリアへ

元祖和製高級車メーカー「プリンス」が誇るフラッグシップ!“皇太子の愛車”にもなった「やんごとなき名車」の歴史|プリンス グロリア【推し車】
(画像=3代目グロリアは日産と合併後の販売になったが、プリンスで開発を終えていてセドリックとは別路線、スマートなタテ目グロリアは今でも人気…しかし、次の4代目でセドリックの完全姉妹車となり、スカイラインのような独自性は許されなかった,『MOBY』より 引用)

ステーションワゴンやライトバンにも直6エンジンを積み、高級志向を崩さないプリンスですが、1960年代までの日本で量販が見込める大衆車不在は致命的で、タイヤメーカーのブリヂストンが自動車メーカーを持つのは他メーカーとの取引上、問題もありました。

さらに通産省(当時。現・経済産業省)が主導する業界再編も影響して存続が困難となり、1966年には日産と合併、「プリンス」の名は日産系列販売店(日産プリンス店)に残るのみとなったのです。

グロリアも3代目(1967年発売)まではプリンスが開発したものの、名実ともに「プリンス グロリア」として販売できたのは2代目まで。

3代目もやがてエンジンが日産(L型)になり、4代目(1971年発売)以降は日産 セドリックの姉妹車になってプリンス時代の名残は社名のみ。

なんだかんだでプリンス時代の名残を残したエンジンを積む「GT-R」を擁し、ローレルとは完全に姉妹車とならないまま現在も存続するスカイラインとは異なり、日産車としての道を歩んだグロリアは2004年の11代目Y34型で終止符を打ち、今や車名も残っていません。

もしも、プリンスが手頃な価格の大衆車も販売し、ブリヂストン以外のスポンサーも得て存続していれば、今でも「プリンス グロリア」は残っていたかもしれません。(高級SUVになっているかもしれませんが、それはそれでアリ?)

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

文・MOBY編集部/提供元・MOBY

【関連記事】
【新車情報カレンダー 2021~2022年】新型車デビュー・フルモデルチェンジ予想&リーク&スクープ
運転免許証で学科試験の点数がバレる?意外と知らない免許証の見方
今一番危険な車両盗難手口・CANインベーダーとは?仕組みと対策方法
SNSで話題になった”渋滞吸収車”とは?迷惑運転かと思いきや「上級者だ」と絶賛
トヨタ 次期型ノア&ヴォクシーに関する最新リーク情報すべて