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「日本のBMW」になりえた(かもしれない)プリンスのフラッグシップ

「日本のBMW」になりえた(かもしれない)プリンスのフラッグシップ

元祖和製高級車メーカー「プリンス」が誇るフラッグシップ!“皇太子の愛車”にもなった「やんごとなき名車」の歴史|プリンス グロリア【推し車】
(画像=1964年の第2回日本グランプリ、T-VIクラスのスタートで上位を独占した2代目グロリア・スーパー6…この頃が「プリンス グロリア」の絶頂期だった,『MOBY』より 引用)

かつて日本に存在した自動車メーカー、「プリンス」。

スバルと同じく太平洋戦争中までの飛行機メーカー、「中島飛行機」を源流のひとつに持ち、トヨタのクラウンより早く本格的な国産乗用車を販売したり、高性能エンジンを積むレースングカーを作るなど意欲的なメーカーでした。

1966年に日産と合併して現在に至りますが、現存すれば「日本のBMW」的なポジションにあったのでは?と言われるほどの高級志向で、宮内庁に採用される一方でカローラのような小型大衆車を作らず、フラッグシップモデルは後にセドリック姉妹車となる「グロリア」。

このグロリア、過去にMOBYが「推し車」として2代目を紹介した際にも人気があり、今回はセルフリメイク版「MOBY推し車リバイバル」として、前回の「日本グランプリでの屈辱(第1回GP)と、果たされた雪辱(第2回GP)」以外について紹介します。