「大衆車は作らない」プリンスのフラッグシップ
こうした先進的なデザインや高級感には、プリンスのオーナーだったブリヂストンの石橋 正二郎氏による「大衆車を作らないプレミアムブランド」という方針もあったと思われます。
当時のプリンスは、当時の需要からホーマーやクリッパー、スカイウェイといったトラックやライトバンは作ったものの、乗用車ではダットサンやトヨタ パブリカのような大衆車は作らず、2代目スカイラインもコロナやブルーバードより車格が上のアッパーミドル級。
イタリアのカロッツェリアに依頼して流麗なコンセプトカーを作っても、大衆車は発売しないという方針から市販に結びつかないなど、その方針は徹底していました(※)。
(※ただし大衆車の開発をしていなかったわけではなく、1970年に日産 チェリーとして発売された小型FF大衆車の開発は、合併直前のプリンスで始まっていた)
また、プリンスセダンや初代スカイラインを納入した実績から、皇室や宮内庁との結びつきが強いというプライドもあったと思われます。
「国産初の直列6気筒エンジン乗用車」の座こそ、1963年2月に発売した日産のセドリック・スペシャル(K型直6・2.8リッター)に奪われたものの、直後の同年6月には国産初のSOHC直6エンジン(G7型直6・2リッター)を積むグロリア・スーパー6を発売。
同年5月の第1回日本グランプリには間に合わなかったので、トヨタのクラウンに煮え湯を飲まされる屈辱を味わうも、翌年の第2回GPにスーパー6で雪辱を果たしたドラマは、”「トヨタクラウンを撃破する皇室御用達車」プリンスグロリア スーパー6”で紹介しました。
スーパー6に続き、2.5リッター版のG11エンジンを積む「グランドグロリア」を1964年に発売するなど高級路線を歩みますが、市販車ではトヨタのクラウンエイトやセンチュリー、日産 プレジデントのような「グロリア以上のフラッグシップ」はなし。
一方で宮内庁向けに「プリンス ロイヤル」を開発(納入は日産との合併後)を開発していましたし、グランドグロリアにもホイールベースを延長した少数の特装車があったと言われているので、「顧客を選ぶメーカー」と言えたかもしれません。