個別的な指揮権は個々の検察官には行使できない、ただし検事総長に対してはできる、それはそう書いてございますよ。それはそう書いてありますが、それは、検事総長が法務大臣をなだめるためにそういう規定を置いているんです、これは講学上。検事総長が、一対一で、ちょっと冷静になってくださいと、介入しないでくださいという政治家を止めるための装備としてそのただし書が入っていると、講学上はそのように解釈されています。

小泉法務大臣は、14条但し書の検事総長に対する指揮権の規定について、「検察に介入しようとする法務大臣に対して、検事総長が法務大臣をなだめるための規定、介入しないでくださいと政治家(の法務大臣)を止めるための規定」と断言し、「法務大臣といえども、個別の問題については入れないというのが検察庁法の14条の趣旨」と答弁したのである。

これは明らかな誤りである。

検察庁法14条の「正しい解釈」

法務大臣は、検察庁法14条本文の「一般的指揮権」で、検察事務の処理方法に関する一般的基準を指示したり、犯罪防止のために一般的方針を訓示したり、法令の行政解釈を示したり、個々の具体的事件について報告を求めたりすることができるが、同条但し書の「個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」との規定により、具体的事件に関しては、法務大臣は検事総長のみを指揮し、検事総長が部下検察官に対して有する指揮監督権(検察庁法7条1項)を媒介としてのみ、個々の検察官の行う検察事務に干渉しうるとされている(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。

検事総長の上司である法務大臣が具体的事件について検事総長に対して指揮をした場合には、重大かつ明白な瑕疵がない限り、国家公務員法98条1項に基づき、検事総長は法務大臣の指揮に従うべきこととなる。

この「検事総長のみを指揮することができる」という規定について、以下のように解説されている。(【弁護士山中理司のブログ「検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権」】)

検察庁法制定当時の検察内部の意見は「検察庁は内閣の外に立つ独立機関たるべしという意見が圧倒的だった」(出射義夫『検察の面でみた刑事訴訟法の25年』―『ジュリスト』昭49・1・1 )。彼らは、昭和戦前期の「検察権の独立」の観念に強く支配されていたので、戦後憲法のもとで政党内閣が常態化し、政党出身の司法大臣が検察組織に君臨することを病的に警戒していた。 他方において、在野には戦前の検察ファッショ復活への警戒感が根強く、また何よりGHQ(占領軍最高司令部)が検察の民主的統制に強い関心を持っている以上、統帥権の独立にも似た検察権の独立を表立って維持することは難しいという判断も、司法省内にはあった。 そうした政治状況の中で、実際に出来上がった「検察庁法」は、政党出身の司法大臣を容認する代わりに、検事総長の任命には国会の関与を排除し、また司法大臣の監督権限を制限する条項(現14条)を設けて、検察への「一般」的指揮権を認める一方、個々の捜査については検事総長を通じてのみ指揮できる、という妥協案に落ち着いたのだ。

この点については、過去に、法務大臣の答弁が行われている。

【平成元年3月27日参議院本会議における高辻正巳法務大臣答弁】

指揮権の発動と申しますのは、検察庁法14条ただし書きの検事総長に対する法務大臣の指揮を指して言われるものと思いますが、この検察庁法十四条の趣旨は、一般に、国の検察事務を分担管理し、その機関の事務を統括する法務大臣の行政責任と、司法権と密接不可分の関係にある検察権の独立性の確保の要請との調和を図る点にあるものと考えられております。 そういうことからしますと、法務大臣がいわゆる指揮権を発動する場合は、検察権が不偏不党、厳正公平の立場を逸脱し、その他、検察事務を所掌し遂行する法務大臣がその責任を全うし得る限度を超えて運営されるというような特殊例外的な場合に限られるべきものであり、そのような特殊例外的な場合においては、法務大臣はその行政責任を全うするためにその指揮権を行使して正すべきものは正さなければなりませんが、そのような場合でないのに法務大臣がいわゆる指揮権を発動することはなすべきでないと考えております。その意味で、法務大臣は検察庁法第14条ただし書きの検事総長に対する指揮権をむやみに放棄するわけにはまいりません。 しかし私は、検察が今後ともよくその職責を果たし、法務大臣が指揮権を発動したりその他これに制肘を加えなければならないような事態が生じることはないものと信じております。

小泉法務大臣の「指揮権答弁」は前代未聞の重大な誤り

要するに、検察庁法14条但し書による指揮権は、「法務大臣が検事総長に対して具体的事件について指揮しうる権限」であり、司法権と密接不可分の関係にある検察権の独立性の確保の要請との調和を図るために、個々の検察官に対してではなく、検事総長のみを指揮の対象にすることにしているが、それは、検察官の権限行使に対する法務大臣の指揮権自体を否定するものではない。

小泉法務大臣が答弁で述べた「(検察庁法14条但し書は)検事総長が法務大臣をなだめるための規定」「ちょっと冷静になってくださいと、介入しないでください」と止めるための規定などというのは全くの珍説である。

このような「検察官との関係を規定する検察庁法14条について誤った解釈による答弁」が、法務官僚が事前に用意していたものとは思えない。おそらく、小泉法務大臣個人の考えを述べたものであろう。しかし、そうであれば、法務大臣の横にいた松下裕子刑事局長は、その誤りを是正しなければならなかった。全く何の反応もしなかった松下刑事局長も、その職責を果たしたとは言えない。

しかも、この法務大臣としての「指揮権についての誤った答弁」には、昨年12月から問題となってきた「自民党派閥政治資金パーティー裏金問題」とも関連するし、それまでの参議院法務委員会での検察をめぐる問題に対する答弁とも関連する。

「自民党派閥裏金事件」と小泉法務大臣

冒頭で述べたように、昨年12月、小泉法務大臣は、

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

と述べて、二階派から離脱した。

その時点では、法務大臣として検事総長への捜査の指揮権を持つことを前提にしていたのであり、上記の参議院法務委員会での答弁とは明らかに前提が異なる。

なぜ、そのように前提を変える必要があったのか、それは、二階派を離脱したとは言え、捜査の対象になる可能性が否定できなかったことから、敢えて自分が法務大臣として個別事件についても検事総長を指揮できる立場であることを否定したかったからとしか思えない。

それは、法務大臣としての自分の地位を守るために、自らの権限について法律上誤った考え方をとり、その考え方で国会答弁を行ったということであり、法務大臣として到底許されることではない。