いきなりの変化球な話題で恐縮だが、今シーズンは、何と5つの記憶喪失もの(記憶を短期的・長期的に失う人物が出てくる作品)のドラマが放映されているそうだ。全て見ているわけではないが、暇な時間には何となく色々なドラマを眺めている私も、確かに多いと感じているところだ。
その原因について勝手に思うところを書けば、「何となく将来に夢や希望が持てないうちに、頑張ってはいるものの人生の結構な時間を漫然と過ごしてしまった」という悔悟の念に満ちた人が多いという世相を反映しているのか、「過去は過去と割り切って、新たな道を行くことが出来るんだ」というインプリケーションを入れ込んだストーリー展開に惹かれる人が多いのかもしれない。
勝手ついでに、こうした記憶喪失系ドラマが、最終回に向けてどのようなメッセージを発していくのかということも大胆に?予想してみる。おそらく、「切り離した(忘れた)と思っていた過去も実は現在と繋がっている。捨てたいと思ったような過去、意味がないと思われた過去も、実は愛しい記憶の一つであり、自分の“かつて”も自分の大事な要素なので、全て抱きかかえて生きて行こう」ということなのではないかと思う。
こう書いてしまうと陳腐であるが、過去と現在と未来の連続性は、昔から様々な芸術作品のテーマになっている命題でもあり、「峻別しているつもりでも、実は繋がっている・連続している」というのは、いわゆる「縦の民主主義」を唱える作家・詩人のチェスタトンを待つまでもなく、恐らく人類の真実なのだと思う。大事な考え方だが、ただ、実践は意外に難しい。