大人のインクルージョンだけが進む選挙
日本で男女普通選挙が実現した20世紀の中頃、選挙権を付与するためには一定の判断能力を備えていることは当然の前提と考えられていました。今でもそう思っている人が多いと思います。
しかしこの考え方は既に見直されています。2013年には、「成年被後見人には選挙権がない」という公職選挙法の規定を違憲とする地裁判決が出ました※1。
そしてその2ヶ月後には法改正がなされ、今ではかなり進行した認知症や知的障がいのある方でも、候補者や政党を選択する意思表示さえできれば、投票ができるようになっています※2。
政治参加に必要な「判断力」を誰かが上から目線で規定して、その水準に満たないとみなした人々を選挙から排除するのは不適切だ、という考え方が主流になりつつあるのかもしれません。
そうであるならば、大人だけが判断力や社会貢献の度合いに関わらず権利を謳歌し、子どもは未熟だからと排除し続けて良い理由は、一体どこにあるのでしょう?
子どもの権利制限は、子どもを守るためにあるところで、子どもと大人とで法律上の扱いが異なる場面は、選挙権の他にもいろいろとあります。たとえば飲酒・喫煙や結婚、契約の締結、運転免許などです。未成年者が親権者等の同意を得ずに行なった契約は取り消すことができますし、刑事責任能力にも制限があります。
しかしこれらの制限と選挙権には、決定的な違いがあります。
他の年齢制限は、子ども自身を守ることに主たる目的があります。あるいは自動車事故のように深刻な危害が社会に及ぶ危険を予防する、という目的もあるでしょう。
ところが選挙権を行使することで子ども自身が困るようなことは、何もありません。子どもが投票所にいったら暴走して誰かに危害を加えるなんてことも、ありません。
「法律の保護が必要な半人前の存在に、選挙権はいらない」と考える方もいるかもしれませんが、そんなふうに目的の違う制度を借用して選挙権を制限すべきではないと、上述の判決で明確に否定されました。
要するに、大した理由もなく、昔からの惰性で子どもを排除し続けているだけなのです。これは立派な年齢差別です※3。
本当の意味での「一人一票」「判断力」や「社会的責任」を持ち出して子どもを選挙から排除するなら、同じ理屈を大人にも適用しなければフェアではありません。
そうではなく「能力に関わらず全ての国民に一票を保障しよう」と考えるなら、子どもの選挙権を制限してよい理由はありません。未熟なうちは親がサポートしてもよいですし※4、代理行使まで認めるのであれば、全ての国民が生まれたその日から選挙権を持つべき、ということになります※5。
およそ1世紀前、女性には参政権がないのが常識でした。数十年前まで、知的障がい者は投票ができないのも当たり前でした。私たちの社会は現在もまだ、「全国民に一人一票」を実現する歴史の途上にあるのです。
「子どもに選挙権なんか要るわけないだろ」という令和世代の固定観念も、半世紀後の未来にタイムスリップしてみたら、「不適切にもほどがある!」と言われてしまうでしょう。