6.婚姻率 × TFR

表6「婚外子率と合計特殊出生率の国際比較」で明らかにしたように、世界的にみると、「婚外子率」が高い国のほうがかなり多い。東アジアは日本と韓国のデータしかなく、台湾、北朝鮮、中国の実状は不明だが、文化的な規範としての国民レベルでの儒教意識の広がりを原因として、この低さが説明されることが多い。

一方、2020年でみても、欧米とりわけ北欧としてのスウェーデン(55.2%)、ノルウェー(58.5%)、デンマーク(54.2%)など、半数以上が婚外子の状態での出産となっている。逆にいえば、男女が婚姻関係の中での出産というわけではない国々が多いのである。

そこで、日本の婚姻率とTFRとの相関を調べてみると、沖縄県データが入った場合はr=-0.03847であったし、沖縄県を外してもr=-0.14700となり、どちらも無相関という傾向が得られた。日本でも婚姻関係が多くなれば、TFRが上がるということではなさそうである。

表6からは婚外子率が低い国ではTFRも低く、婚外子率が高い国ではTFRが高いという傾向は窺われるが、この比率もまた文化的帰結なのだから、日本が国家政策としてこの比率を操作することはできないし、無意味でもある。

日本の高度成長期がヒントになる

これまでも指摘してきたように、日本の高度成長期では婚姻率が高く、TFRも2.00を超えていた。しかしそれは、「明日のために今日も頑張る」という「企業戦士」に象徴されるライフスタイルが国民のなかに浸透していた時代だったからである。

「今日も頑張った」ら「生活が安定」して、「将来展望」が明るくなるという国民的な信頼感があればこそ、TFRも2.00を維持していたのであろう。

7.第3次産業就業率 × TFR

第3次産業と第1次産業を比較すると、前者は仕事への個人的「才覚」が重要であり、後者は農業に典型的なように集団的な「合力」を必要とするように思われる。田植え、草取り、稲刈り、出荷等の時期では集団的対応こそが仕事の「質」を左右するから、いわゆる農業県では身内の労働力プールとしても子どもが多く誕生する傾向を持っている。

例外は北海道であるが、TFRが1.50を超えている福井県(67.9%)、鳥取県(68.3%)、香川県(68.0%)、佐賀県(66.9%)、長崎県(72.2%)、熊本県(68.5%)、大分県(69.3%)、宮崎県(67.8%)、鹿児島県(71.1%)、沖縄県(78.2%)の10県ではいずれも農業県としての特徴を持っていて、TFRも日本のなかでは高い方に属する。

そこで第3次産業就業比率との相関を計算すると、沖縄県を入れた場合では、r==-0.16281となり、無相関という結果になった。しかし、沖縄県を外せば、r=-0.33192になり、「弱い負の相関」が得られた。すなわち、東京都に象徴されるように、第3次産業就業比率が高いところではTFRが低く出たのである。

ここでも第3次産業に従事する「単身者本位」が強いことが、農業県のTFRの総体的な高さを凌駕して、TFRの低さと結びつくという説明が可能になる。

8.女性就業率 × TFR

最後に「女性就業率」との相関を取り上げる。

注意しておきたいことは、統計上「女性就業率」には農家の主婦もまた含まれる点である。すなわち農家の無給「家族従業者」もまた就業していることになっている(総務省統計局『社会生活統計指標-都道府県の指標 2024』)。

東京都の「女性就業率」は低い

そのため東京都の「女性就業率」が都道府県第1位と誤解されやすいが、日本の統計では農家の主婦が「家族従業者」として位置づけられるために、7とおなじような傾向が得られる。

したがって、「女性就業率」が過半数を超える県には、秋田県(50.8%)、山形県(52.1%)、群馬県(51.3%)、新潟県(50.8%)、富山県(53.0%)、石川県(52.7%)、福井県(54.5%)、山梨県(51.6%)、長野県(52.9%)岐阜県(51.7%)、静岡県(52.1%)、愛知県(50.7%)、滋賀県(50.3%)、鳥取県(51.7%)、島根県(51.7%)、佐賀県(53.0%)、熊本県(50.8%)、宮崎県(50.5%)、鹿児島県(50.5%)などの19県が該当して、しかも比率的には上位になった。

ちなみに「女性就業率」が高いと思われる都市型の府県として、大阪府は43.9%、京都府が44.9%、奈良県も44.1%、兵庫県は45.9%、神奈川県が46.8%、そして観光に特化して女性が働くイメージが強い沖縄県でも45.6%に過ぎない。

「女性就業率」が高いこととTFRが高いことに正の相関

この前提を理解したうえで、TFRとの相関係数を計算すると、まず沖縄県も取り込んだ結果は、r=0.35625となり、「弱い正の相関」が検出された。「女性就業率」が高いこととTFRが高いことに「正の相関」があることが分かった。

一方で、沖縄県のデータを外して46都道府県で相関係数を取ると、r=0.49832が得られ、表5に照らせば、「女性就業率」の高さとTFRの高さには「正の相関」があると結論できる。ただし、農業でも製造業でもサービス業でも「女性就業率」が高い方がTFRも高いとは断定できない。

なぜなら、既述のように農業県では統計上「女性就業率」が高く出るので、製造業でもサービス業でも同じかどうかは不明だからである。それを証明するにはもっと細かなデータが必要になるが、今のところでは探せていない。

9.古典に学ぶ少子化対応

パラダイムの変更ができるか

以上、簡単ながら、子育て支援金を増額する、支援金供与の該当者を増やす、財源をどうするか、というお定まりの支援金をめぐる議論を横目にした具体的なデータ分析を行った。そこでは、日本の社会システムの構成員が粉末化して、形態としては「単身者本位」の社会に推移していることが、未婚率を高め、出生数を減少させて、「少子化する高齢社会」をひき起こしたと見るからである。

粉末社会とは私の造語であるが、「社会全体の連帯性や凝集性が弱まり、国民全体が個別的な存在に特化した」(金子、2016:85)社会を表わすものである。また個人レベルでは、粉末化現象を「私的な権利、利己主義、欲望満足、欲求充足」(金子、2023b:32)で表現することがある。

いずれにしても個人の粉末化への配慮がなければ、政府による単発的な一時金の支給はもとより、毎月支給の子育て支援金の増額を実施しても、少子化の根本的対処にはならないとした(同上:283)。

少子化対策の大原則

この10年間私は、学術研究の方針として少子化対策の大原則を繰り返し主張してきた。具体的には、

原則1 少子化を社会変動として理解し、原因と対策を考慮する。
原則2 原因の特定化に対応した世代間協力の克服策を志向する。
原則3 必要十分条件として「子育て共同参画社会」を重視する。
原則4 社会全体による「老若男女共生社会」を最終目標とする。
原則5 学問的成果と民衆の常識が整合する政策提言を行う。

を掲げた(金子、2016:231)。

これらは、2003年の『都市の少子社会』以降に断続的に続けてきた「少子化研究」の総括の意味を込めていたが、どこからも反応がなかった。

さらに同じ本の中で、ブレンターノの「福利説」までも紹介して、学術的な取り組みの重要性も強調してはみたものの、この主張も厚労省や内閣府の担当者には届かなかった。

ブレンターノの「福利説」

それは以下のような内容を含んでいた。ブレンターノの「福利説」は、マルサス人口論についての水田による解説でたまたま簡単に触れられた内容である。ブレンターノは1931年に死去しているから、水田のこの要約は実に90年以上も前の作品からの引用となる。

ブレンターノは生活水準の上昇が出生率の低下(すなわち少子化)を伴う理由を、

職業のための準備と教育がたかまるため、男子の結婚がおそくなる 文化が高まるにつれて収入の源泉であった女子と子どもが支出の源泉となる 女子の経済的独立性がたかまり、結婚への誘因が弱まる 社会的活動の増大のため、結婚が生活にあたえるよろこびは相対的に減少する 高い教養と文化をもった男女は、自分に適切な配偶者を得にくくなる 優生学的配慮あるいはよりよく育てたいという配慮から、子どもの数がすくなくなる

という6点に求めた(水田、1980:41)。

古典の威力

これらすべては現代日本の少子化の背景分析としても有効であり、これこそ古典の威力であろう。

歴代首相が「少子化対策」とは何かを明言せずに、厚生労働大臣が「社会全体での支援」を定義しないまま、いたずらに40年間を「待機児童ゼロプラン」にこだわり続けた結果を前に、国民とりわけ若者は先行き不透明感をつのらせるしかない。

掛け声だけの「社会全体での子育て支援」に終始せずに、ブレンターノを始めとした学術的成果をきちんと吟味した政策作りを国会で与野党が協働していたら、もっと可能性のある未来が開けたであろうと思うと残念であり、失われた40年間の空しさが募ってくる。

デュボスによる出生率低下の条件が実現した現代日本

また、同じく現代日本の少子化打開としての「異次元の少子化対策」に有益な古典として、デュボス(1965=1970)がある。

そこで引用された箇所「結婚して大家族を育てあげてきた誠実な人の方が、独身のままでいて、ただ人口について語っているだけの人よりも、国家により多くの奉仕を果たしている」(同上:240)は現代日本の少子社会にも通用する。

この研究書において、人口減少が進む現在とは異なる人口爆発の時代に出生率低下の条件として、デュボスは(ⅰ)社会保障、(ⅱ)一夫一婦制、(ⅲ)晩婚、(ⅳ)生活と住居の改良、(ⅴ)より高度の個人の安全性、をあげた(同上:253)。これらすべてが日本では現実化して、長期的な出生率低下を招き、逆に「異次元の少子化対策」が積極的に論じられるほどになった。

世界的にみて比較的整備された社会保障制度、完成された一夫一婦制度、高学歴により必然化した晩婚と晩産、世界的にみて完成度の高い住宅水準、劣化は見られるものの、まだ日常的安全性が確保されている社会システムなど、60年前のデュボスの主張は現代日本にそのまま該当する。時代を超えて、個人にも社会全体にも通用する「生活安定」と「未来展望」を備えたことが古典の証明なのであろう。

『戦略』や『ビジョン2100』をめぐる真摯な議論がほしい

翻って政界やマスコミ界の現状を見ると、せっかく『戦略』や『ビジョン2100』が出されたにもかかわらず、内容についての真摯な議論は生まれず、放置されているような印象さえ受ける。

首相や担当大臣から時折出生数の著しい減少への不安は語られることはあるが、「世代会計」を通して、現世代がどこまで何を負担して、次世代や次々世代に何を託すかという議論もなされないままいたずらに時が過ぎていく。

これは1956年に出されたミルズの『パワーエリート』でのべられたように、「政治家が全国的問題について語るばあい、かれらの言辞は空虚な修辞にとどまる」(ミルズ、1956-1969:131)の伝統が日本の現在でも残っているかのように思わせるに十分であった。

こども家庭庁が動き始めて1年が経過した現在、日本で「こども真ん中」政策がどの程度政府や与野党やマスコミに認識されているだろうか。「少子化する高齢社会」に対応できない政治に、先行き不安感を払拭できない国民が増えてきている。

 

【参照文献】

Dubos,R.,1965,Man Adapting,Yale University Press.(=木原弘二訳『人間と適応』みすず書房). Jan de Vries,2008,The Industrious Revolution,Cambridge University Press.(=2021吉田敦・東風谷太一訳『勤勉革命』筑摩書房). 神島二郎,1969,『日本人の結婚観』筑摩書房.
金子勇,2011,『コミュニティの創造的探求』新曜社.
金子勇,2013,『「時代診断」の社会学』ミネルヴァ書房.
金子勇,2016,『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
金子勇,2023b,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
金子勇,2023c,「社会資本主義への途④-人口反転のラストチャンス」アゴラ言論プラットフォーム6月22日.
金子勇,2023d,「マスコミの『少子化』報道姿勢」アゴラ言論プラットフォーム5月13日.
金子勇,2023e,「異次元の少子化対策』の論理と倫理」アゴラ言論プラットフォーム4月18日.
金子勇,2024a,「【社会学の観点】 少子化論」に対する『数理マルクス経済学』の限界①)アゴラ言論プラットフォーム1月25日.
金子勇,2024b,「子育て共同参画社会」から見た「共同養育社会」論)アゴラ言論プラットフォーム2月4日.
金子勇,2024c,「どのような資本主義を想定するのか」アゴラ言論プラットフォーム2月16日.
Malthus,T.R.,1798,An Essay on the Principle of Population.(=1980 永井義雄訳 「人口論」水田洋編『世界の名著41 パーク/マルサス』中央公論社).
Mille,C.W.,1956,The Power Elite,Oxford University Press.(=1969 鵜飼信成・綿貫譲治訳『パワー・エリート』東京大学出版会).
水田洋,1980,「イギリス保守主義の意義」水田洋編『世界の名著41 バーク/マルサス』中央公論社.
大西広,2024,「要するに人口減が資本主義で解消されるのかどうかという問題①」アゴラ言論プラットフォーム2月11日.
総務省統計局『社会生活統計指標-都道府県の指標 2023』同統計局.
総務省統計局『社会生活統計指標-都道府県の指標 2024』同統計局.

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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