私はキャラクター・ライセンスがアメリカでどのように始まったのか、先行研究をいろいろ調べてみたがあるが、カーメンによるこの逆転の発想以前/以後での時代区分を、どの論者も怠っていることに気が付いた。

なるほどミッキー以前に、今でいうキャラクター商品と思えるものがいろいろ発売されていて、ライセンス管理もされていた事例が、複数の先行研究で、19世紀末までさかのぼって色々挙げられている。

カーメンとウォルト・ディズニーの広報用写真(1949年)

だが、そもそも当時のアメリカ著作権法はヨーロッパや日本のものに比べるとずっと素朴なものであった。カトゥーンの法的な取り扱いについても、むしろ州ごとの裁判判例、それも特許や不正競争といった別種の分野の判例を、そのつどパッチワークして判断することが続いていた。

それに、先に紹介したように当時争われたのは主人公ではなくその「氏名」の帰属についてだった。スヌーピーやバットマンやドラえもんについて、現代の私たちは「キャラクター」と呼んで、実在の人気子役や映画スターと同列に見なしているが、そういう感性を法理論がカバーするようになるまでに、実はおよそ40年の混乱期があった。とりわけその初期は、未成熟なアメリカ知財法制下においてカトゥーンの扱いについては半ば無法の荒野であった。

そのぶん一介の社員絵師にもニッチでおこぼれ的な役得がありえた。私的に弁護士を雇って商品ライセンス管理をさせていたという話も、そうした当時の文脈でこそ解すべきである。

その後の著作権法の改正(映画など当時の新たな娯楽芸術についての規定が加わった)や、カトゥーン作者が社員絵師ではなく「漫画家」という自立職になっていくなか、カトゥーンはコミックストリップ(現代まんが)に進化するとともに、人気芸人や映画スターがどこの所属であるかがしばしば争われるように、まんがの主人公についても帰属が裁判で争われるようになった。

広報用写真(1930年頃)

ウォルト・ディズニーがミッキーといっしょに微笑んでいる、当時の広報写真をご覧になったことがあるだろう。あれは実はミッキーの帰属は自分であって、社内絵師ではないと世に喧伝するためのものだ。さらに後になると「スーパーマン」シリーズで知られるまんが出版社が、後に作者コンビと裁判になって、最終的にふたりは放逐され、鋼鉄の男スーパーマンは同社のものとされた。特許が発明者から他者に譲渡できるように、キャラクターもまた譲渡や売買ができるものと確定したのだった。

日本のまんがはそういうドライでシビアな方向には進化しなかった。「ドラゴンボール」の主人公・悟空とその仲間たちは、ポパイやスーパーマンやワンダーウーマンらに倣って特許と事実上同格に扱われているが、その一方で原作まんがの作者・鳥山明は、夏目漱石やJ・K・ローリングと同じく、法でいう「著作者」としてファンからも利潤関係者からも尊ばれている。

それもあって日本のまんがは、かつての純文学、大衆小説、中間小説、少年少女講談などの市場をも呑みこみ、文学と呼ばれるものに接近(ときには凌駕)しつつ、その一方でアメリカ発祥のビジネスライクな、しかし多メディア多商業展開を容易にするメソッド「キャラクター」をコアに置くという、二重構造を抱えることになった。

小説の映画化であれば、もとが文字テキストであるぶん翻案解釈の幅も大きくなるということで、ときに原作者の側に不満が残っても、基本的には自制された。しかしまんが原作の場合「キャラクター」の解釈について、どうしても原作者と移植チームのあいだで不一致が生ずる。

これは物語全体のナラティヴをも左右するゆえに、原作者にとって己の芸術表現の課題となり、ときには過剰な精神的負担を強いられてしまう。異なるメディアへの移植となれば、なおさらそうであろう。

くだんの事件について、海外での翻案契約交渉にたけた著名弁護士や、インドの動画スタジオでのアニメ化工程を誇らしげに語る人気漫画家など、さまざまな界の方がそれぞれの立ち位置より語ったが、まんが史研究界からこの事件についてこれといった洞察が放たれないでいる様は、その末席を汚す私の目には、実に不可解に映るのだ。

ドラマ化を推進したテレビ局からの調査報告書を待って——そしてタイムくんの力も借りて——拙論の続きをいずれ綴ってみたい。

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久美 薫 翻訳者・文筆家。『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』(トム・シート著)ほか訳書多数。最新訳書は『中学英語を、コロナ禍の日本で教えてみたら』(キャサリン・M・エルフバーグ著)。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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