メンデルスゾーン的にロマンティックに愛くるしく、ではなく、あくまでも端正に精密に、下手にベタベタにせず凛とした曲作りの中に、イタリアへの愛がたっぷりこもっていて、ただただ聴き惚れる。
後半は、リヒャルト・シュトラウス ”イタリアから”。
故郷イタリアにオマージュを捧げた本プログラム(ツアー中のもう一つのプログラムには、ストラヴィンスキーとかプロコフィエフ入ってるようで。そちらも聴きたかったー)。
シュトラウス初期の作品。音源でも聴いたことなかったので、ネットで2度聴いてから本番迎えたけど、最初の5秒で、予習と全然違う!なんて素晴らしい曲!と夢中になる。
もちろん、パソコンで聴く音源は言ってみれば2Dで、演奏会は3Dなので、そもそも比べようもないのだけれど、平面と立体の違いを超え、ムーティの解釈が神がかってる気がする。
引き続き端正でエレガントなのだけど、冒頭の1分で、祖国への限りない愛情と慈しみが後から後から湧き出て大きな会場に溢れ出てしまうよう。あまりの美しさに、大きくため息。
表情をほとんど変えずに振ることが多い(経験だと)ムーティが、この曲では口角少し上がる場面も何箇所もあってちょっと意外。振り返ると今日の3曲は全て、いつもよりも動きも少し大きい。思い入れ入るよね、やっぱり。
シカゴ響の真骨頂的な巨音の金管は、シュトラウスとしては小規模編成なのもありそこまで大音量ではないけれど、チューバ並みに吠えるトロンボーンやコントラバスの唸りに痺れし、さっすが。アメリカの中でも、今多分、シカゴがトップなのでしょうね。質も財政も(ギャンランティも)。
イタリアの4都市の4情景、それぞれ全て対する作曲家と指揮者の想いが溢れ出ているような至福の50分。
シカゴ響の強い響きをあえてある程度制し、指揮の魅力が燦然と輝き満ちた3曲。ずっと皇帝というイメージだったけど、今宵の演奏は、解脱した精神性を感じる。
ソリストなしの、指揮者&オーケストラ満喫プログラムにしてくれて、本当にありがたい。
割れんばかりの拍手とブラヴォーの中、イタリア語でスピーチ。”ごめんねイタリア語で”、”プッチーニ・・・マノン”くらいしか言葉わからない。
そしてアンコールは、プッチーニ”マノン・レスコー”。涙なしには聴けない旋律&音色&解釈で、ついに涙腺崩壊。
(後日、知人に内容聞くと、”辛いことが多い人生だったプッチーニへのオマージュ。この辛い時代、平和と愛、他者への敬意を喚起するべく、マノン・レスコーを”と語ったそう。このメッセージだけで泣いてしまう・・。)
思えば、ムーティはオペラ振りだった。ムーティの初体験は、1996年ラ・スカラでの「ナブッコ」(強烈体験、一生忘れない)だったし、同じ劇場で「ラインの黄金」(こちらは、ナブッコに比べると今ひとつだった)も聴いてる。その後は、演奏会しか縁がないけど、彼が引退する前にもう一度、イタリアオペラを聴きたいな♪
最後の最後まで、祖国への愛溢れる、感動演奏会。今日、ここでこの演奏会を体感できた幸せと興奮と喜びを、ムーティファンの知人と夢中になって語り合い、多幸感に満ちた演奏会とマエストロ・ムーティ&シカゴ響に感謝。
ムーティ&シカゴ響体験は、4年前と今回の2度だけ。ヨーロッパツアーに帯同させてほしい、真剣に。
インスタグラムにブラヴォーの映像あります。
2020年1月ムーティ&シカゴシンフォニーオーケストラの様子はこちらです
編集部より:この記事は加納雪乃さんのブログ「パリのおいしい日々5」2024年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「パリのおいしい日々5」をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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