■事件の発覚
1924年5月、ハノーファーの街を流れるライネ川で遊んでいた子供たちが人間の頭蓋骨を発見した。検死の結果、頭蓋骨は18〜20歳の若い男性のものでナイフによる傷が残っていた。その後も頭蓋骨や人骨のつまった袋などが相次いで発見され、さらに6月には、近隣住民数百人がライネ川を捜索して500以上もの骨片や人体の一部を発見した。発見された人骨は少なくとも22人分にも及び、うち3割ほどは15〜30歳の若い男性のものと鑑定された。
頻発する若い男性の行方不明事件と大量の人骨の発見に、警察はハールマンを疑った。だが、信頼をおく情報協力者を確たる証拠もなく逮捕するわけにもいかない。
チャンスはすぐに訪れた。偽造証明書を所持していたとハールマン自身が警察に突き出した少年が、取り調べでハールマンにレイプされたと訴えたのだ。
6月22日、警察はハールマンを性的暴行の罪で逮捕し、住んでいたアパートの部屋と屋根裏部屋を捜索した。すると部屋の中は壁も床も血痕だらけ、行方不明の少年たちの衣服や身分証が次々と見つかった。ハールマンは自らの犯行を認めた。
事件はマスコミによってセンセーショナルに報道された。1924年12月4日から始まった裁判には多くのマスコミ、傍聴希望者が集まり、まるで見世物のようだったという。
ハールマンは13〜22歳の男性24人の殺害で有罪となり、死刑が宣告された。だが、実際の被害者数はさらに多いと言われており、本人も50〜70人殺したと話している。また、共犯者グランスも一審で死刑判決を受けたが、二審では懲役12年に減刑された。殺人や死体損壊は全て自分一人で行っており、グランスは被害者の持ち物を盗み、売り払っただけというハールマンの証言が認められたからだ。
1925年4月15日、ハールマンはギロチンで処刑された。最後の言葉は「さようなら」だったという。
処刑後、ハールマンの頭部は脳の構造を調べるために保存された。脳の断片が4つ採取され、ミュンヘンのマックス・プランク研究所にも送られたが、そちらは行方不明になっている。凶悪犯の脳は当時の学者にとって格好の研究材料だったようで、ハールマンの処刑から7年後にギロチンにかけられた「デュッセルドルフの吸血鬼」ペーター・キュルテンも頭部を保存されている。
ハールマンの頭部は長くゲッティンゲン大学の医学部で保管されていたが、地元メディア「Hannoversche Allegemeine」によると、2014年に「頭部の保存に科学的な価値はない」として保存の中止が決定し、人道的・倫理的な観点から火葬された。1960年代には一般にも公開されていたようだが、基本的には医学生などのみが見学できたそうだ。
(編集部)
参考:「Murderpedia」「Hannoversche Allegemeine」「Wikipedia」ほか
※当記事は2018年の記事を再掲しています。
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提供元・TOCANA
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