■凶行の始まり
1918年、第一次大戦終結後に釈放されたハールマンは、ハノーファーの旧市街地の歓楽街の一角に住み着いた。ハールマンは闇市で肉屋の屋台を開く一方で、警察の情報屋となってお目こぼしをもらい、「ハールマン刑事」とまであだ名されるようになった。彼は夜な夜なハノーファー駅周辺で家出少年に声をかけ、時には警察に突き出し、時には自宅に連れ帰った。そして、現代にまで語り継がれる一連の事件を起こした。
ハールマンの最初の犠牲者は17歳の家出少年だったとされる。1918年9月25日、ハールマンは彼を家に連れ込み、セックス後に殺害し、遺体は墓地に埋めたとされている。この少年の両親はいなくなった子供を探し、警察にも届けている。警察がハールマン宅を訪れると、彼はまた別の少年とベッドにいるところだった。警察はハールマンを現行犯逮捕したものの、コンロの裏に隠してあった被害者の頭部には気づかなかった。
2度目の犯行は最初の事件から5年後の1923年とされている。この間、ハールマンは懲役刑に服するなどしていたが、出所後すぐに警察の信頼を取り戻し、再び情報提供者となっている。また、ハールマンはこの時期に後の共犯者ハンス・グランスと出会っている。グランスは当時18歳で、本来は異性愛者であったがハールマンの愛人となって同棲した。ハールマンはグランスを愛しており、主導権はグランスが握っていたといわれる。
1923年2月12日に隣人の13歳の少年を殺害して以来、ハールマンはほぼ毎月のように事件を起こすようになる。1923年に少なくとも11人、翌1924年には6月の逮捕までに少なくとも12人を殺害している。
犯行の手口はおおむね次のようなものだ。彼はハノーファー駅でホームレスや家で獲物を物色し、気に入った若い男は家に連れ込んだ。ハールマンは連れ込んだ全員を殺害しているわけではなかった。殺すのはセックスで我を忘れたときだった。ハールマンは連れ込んだ少年たちをセックス中に首を絞めたり喉を食い破ったりして殺していた。そして、死体にもたれかかって余韻を楽しんだという。
ハールマンは死体を解体する前に、濃いめのコーヒーを一杯飲んだという。床に横たえた死体の顔に布をかけ、まず腹を切り裂いて内臓を取り出した。次に肋骨を切ったり折ったりして肺や心臓を取り出してミンチにする。その後、四肢を切断して骨から肉を剥ぎ取った。ペニスも切断してみじん切りにしたのち、最後に頭部を切り落とし、頭皮を剥ぎ取り脳を取り出した。食べられそうな肉は部屋に隠し、残りの骨や屑はトイレや川に流して捨てていた。ハールマンは後に、これらの作業を「嫌で嫌で仕方なかったが、やらざるをえなかった」と語っている。
ハールマンは犠牲者の肉を食し、残りは食肉と偽って売ったとされる。身につけていた服などはグランスが使ったり、売り払って金に変えていた。