世界には数多のシリアルキラーが存在するが、その中でも「ハノーファーの肉屋」フリッツ・ハールマンはかなり特異な犯罪者である。彼は不況にあえぐ世相を逆手にとって、ホームレスの少年や男娼ばかりを狙って自室に連れ込み、同性愛を楽しむ最中に殺害、そして衣服や財産を盗むだけにとどまらず、その肉を喰らい、食肉として販売までしていたのだ。

若男を解体、ミンチにして食肉販売! ドイツ最凶連続殺人鬼“ハノーファーの肉屋”【フリッツ・ハールマン】
(画像=フリッツ・ハールマン。画像は「Hannoversche Allegemeine」より引用,『TOCANA』より 引用)

■おとなしい少年が殺人鬼になるまで

 フリッツ・ハールマンは1879年10月25日にドイツ・ハノーファーの貧しい家庭の第六子として生まれた。同年代の男の子たちに混じって外で遊ぶより、姉妹と人形遊びをするような物静かでおとなしい子供だったという。学校でもおとなしく、態度は模範的であったものの、成績は平均以下だった。

 母親に甘やかされて軟弱に育った15歳の息子に、父は軍の士官学校に入るよう命じた。しかし、士官学校での生活は長続きせず、意識の喪失や幻覚に苦しむようになる。ハールマンはてんかんと診断され、半年ほどで親元に戻った。

 父親の葉巻工場で働き始めたものの、ハールマンは仕事への意欲をまるで見せなかった。それどころか、近隣の男の子たちにいたずらすることを覚え、1896年に逮捕されている。翌年には意志薄弱や精神的な錯乱と診断されて精神病院に入院している。

 精神病院を逃げ出したハールマンは、母方の親戚を頼ってスイスでしばらく過ごした後、1899年にハノーファーに戻った。この直後、ハールマンはエルナという女性と婚約している。彼女はすぐに妊娠したが、ハールマンは「障害者の血を残したくない」と中絶を勧め、自分は折良く届いた徴兵の通知に応じて兵役に就いた。

 入隊したハールマンは、後に「一生で最も幸福な時期だった」と語るほど順調な生活を送り、優秀な兵士として高い評価を受けたが、再び失神に苦しむようになる。4ヵ月の入院後に除隊となり、失意のハールマンはハノーファーに戻った。

 父親からの援助や軍からの恩給を元手にハールマンは魚屋を開いたが、店は長続きしなかった。ハールマンは泥棒や詐欺で生計を立てるようになり、窃盗や横領などの罪で幾度となく逮捕され、1905〜1920年のほとんどを警察や刑務所で過ごすこととなる。また、本格的な同性愛に目覚めたのもこの頃で、ホームレスや家出少年などを連れ出してはセックスの相手をさせていたという。