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ホンダ初の4輪車は、日本初のスポーツトラック
駆け込み需要的に急いで開発されたS360とT360
ホンダ初の4輪車は、日本初のスポーツトラック
過去にMOBY編集部からの「推し車」として紹介した中から、特に反響が多かった車種をセルフリメイクする「MOBY推し車リバイバル」、今回は「車両価格よりDOHCエンジンが高い?ドンブリ勘定で生まれた変態軽トラ!」として紹介した、ホンダ T360です。
2021年4月にアクティ・トラックの販売を終了、市場から撤退するまでの58年間、ホンダ4輪車にとって重要な車種であり続けた軽トラックの第1号であり、ホンダの4輪車としてはスポーツカーのS500より2ヶ月早く発売された4輪参入第一号。
同時期に開発が進んだS360がお蔵入りになった理由の1つに、「他社からの横槍」という説があり、軽トラなら文句はなかろうとT360がそのままデビュー、本邦初のスポーツトラックになったという話もあって、なかなか面白いクルマです。
駆け込み需要的に急いで開発されたS360とT360
以前の記事では、通産省(当時)の主導による国産車メーカー再編案に、それまで2輪で足がかりを固めつつ4輪はゆっくり開発…と、ノンビリしていたホンダが、1963年に軽トラT360と小型スポーツS500で軽4輪&小型4輪市場へ慌てて参入した顛末を書きました。
それまで割と堅実に乗用車とスポーツカー、商用車を開発したものの、急いで参入実績を作らねばならず、しかし生産体制も販売体制も整わない、無理して売るには当時でも確実に需要が見込める実用商用車と、イメージリーダー的なスポーツカーを作るしかありません。
スポーツカーの方はどちらかといえば、創業者・本田 宗一郎氏の「信念に基づいた趣味」的な要素が強くオープンスポーツのS360が作られ、ホンダの名番頭・藤沢 武夫氏の信念に基づく量販モデルの商用車は、T360を開発。
途中から宗一郎氏もT360の開発に深く関与しますが、もともと軽トラ用に開発していた空冷4気筒を水冷化したDOHC直4・360ccエンジンを双方に採用し、S360にはスポーツカーらしい高性能の33馬力版、T360には実用性重視デチューンの30馬力版を積みました。