GMのおかげで本格量産化にこぎつけた中期型
しかしそんな117クーペを、そしていすゞの乗用車を(一時的にせよ)救ったのが、アメリカのGM(ゼネラル・モーターズ)です。
小型の世界戦略車を生産するパートナーを探していたGMは、日本で一時はトヨタや日産と並ぶ「御三家」と言われながら、伸び悩んでいた当時のいすゞに目をつけ1971年に提携。
ドイツで当時GM傘下だったオペルが開発した「カデットC」の日本版、後の初代「ジェミニ」などを生産させるため、いすゞに乗用車生産設備の投資を注ぎ込みます。
その副産物として117クーペも「ハンドメイド」から「量産」のメドがつき、デビュー5年目の1973年に中期型へとマイナーチェンジ、時代に合わせたデザインの小変更や装飾の追加(特にリアガーニッシュなどテール周り)を受けます。
この時期の117クーペは丸目ヘッドライトのままでしたから、フロント側からは一見すると前期型(ハンドメイド)との区別はつきにくいものの、ウィンカーなどを収めたターンシグナルランプユニットがバンパー上から下へ移動したのが、最大の識別点です。
デビュー当初1.6リッターDOHC・キャブレターのG161Wだけだったエンジンは、前期型の途中でSOHC版や電子制御インジェクション、1.8リッター版を追加していましたが、中期型では1.8リッターに統一。
時期的に排ガス規制が厳しくなって、スポーツエンジンが廃止やパワーダウンを余儀なくされる時期でしたが、早々に電子制御インジェクション化に対応していたこともあり、キャブレター版の廃止程度でDOHCエンジンを残せたのもイメージとしては幸いでした(※)。
(※あくまで本格スポーツカーではないので、絶対的な性能を求められなかった…という事情も幸いしたと思います)