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新世代マツダのフラッグシップとして、盛り上がるはずだった

新世代マツダのフラッグシップとして、盛り上がるはずだった

「尻下がりなデザインの日本車は売れない」ジンクスに挑んだ“曲線美ボディ”サルーン、マツダ アンフィニ MS-9&初代センティア【推し車】
(画像=アンフィニ店の姉妹車、MS-9なんてのもあって、レア度や高級感ある車名から、こちらを好むユーザーもいた,『MOBY』より 引用)

前回の「推し車」記事(「1年」が悲劇的な結果を生む結果に…マツダの高級セダン 初代センティア【推し車】)で紹介したように、発売時にはバブル崩壊が始まっており、日本経済が狂乱のバブル時代から転落していた時期です。

それから2年ほどでマツダは深刻な販売不振で、5チャンネル販売体制と、そのために乱発した新型車の扱いに困り果てることとなりますが、センティアを発売した1991年5月からしばらくは、「そのうちまた景気が上向くのでは」という希望的観測もありました。

実際はそうはならずにひたすら転落していきますが、初期のごく短期間でもセンティアと、新たにマツダオート店から改名したアンフィニの姉妹車「MS-9」(1991年11月発売)として売れた時期があったのは、幸運です。

ヘタすると箸にも棒にもかからない不人気車として、知る人ぞ知る存在になりかねないところですが、それなりに売れたセンティア/MS-9はVIPカー、それも主に女子のVIPカードライバー向けに、ローダウンなどカスタムも似合うクルマとなりました。

これがセド/グロやクラウンといった定番車だとダーティなイメージになりますし、実際そういう狙いのあるカスタムが多かったのですが、センティア/MS-9はギリギリにシャコタンとしても優雅な雰囲気を少しも失わないのが良かったものです。

本来なら「トヨタに追いつけ!」と頑張っていたマツダを象徴するような、マツダ店やアンフィニ店向けフラッグシップとして、幻に終わったユーノス店の「アマティ1000」と並び立つはずでしたが、その前にバブルが弾けたのは、結果は同じでも惜しい事をしました。