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マツダにとってひとつの頂点だったユーノス コスモ
「コスモ」こそマツダの象徴だった…歴代モデル
マツダにとってひとつの頂点だったユーノス コスモ
日本で唯一、さらに西側世界では唯一の3ローターエンジン20B搭載車を設定した、ユーノス コスモ…マツダロータリーがひとつの頂点に達した象徴的存在で、過去にMOBYの「推し車」として紹介した際も好評でした。
今回は好評だった記事のリメイク版、「推し車リバイバル」として、再びユーノス コスモを紹介しますが、20Bや世界初搭載のGPSカーナビというより、「マツダのイメージリーダー」としての役割に焦点を当てて、振り返ります。
「コスモ」こそマツダの象徴だった…歴代モデル
マツダ コスモの初代にあたる「コスモスポーツ」の発売は1967年、発表はさらに5年さかのぼった1963年で、マツダが西ドイツのヴァンケル博士とNSU(現在のアウディ)から権利を買ったヴァンケル式ロータリーの熟成に時間をかけての登場でした。
1963年当時のマツダといえば、軽乗用車こそ初代「キャロル」(1962年)や「R360クーペ」(1960年)があったものの、戦前からの歴史を誇るオート3輪の名門からトラックなど商用車で4輪へ進出、初代「ファミリア」(1963年)もまずはライトバンで発売。
どちらかといえば「商用車メーカー」であり、乗用車では先行していたトヨタや日産(ダットサン)、日野、いすゞ、同時期の4輪参入ライバルであるダイハツ、新興の三菱やスバル、ホンダを相手に、埋もれてしまわない努力が必要です。
そのための「ロータリーエンジン」であり、新時代を予感させる「コスモスポーツ」であって、コスモの名がその時代におけるマツダの象徴となる先駆けでした。
それ以降、2代目(1975年)は燃費を改善したロータリーエンジンで環境対策スポーツとして、経営が傾いていたマツダ再建の足がかりとなり、3代目はルーチェの姉妹車として普通のエンジンも積みましたが、依然としてロータリーが主力。
「レシプロエンジン(ピストンエンジン)のマツダ」が頂点にルーチェや後継車のセンティアを据えるなら、「ローラリーエンジンのマツダ」はコスモがフラッグシップでした。