アメリカでは一般大衆だけではなく、各産業の大手企業の中にも民間の大手銀行が強大になることだけでなく、銀行を監督する中央銀行の権限が大きくなることを恐れる人たちが多かったのです。
のちに、あらゆる産業分野を監督すべき官庁がワイロによって各業界の大手企業に手なずけられてまったく監督権限を発揮できなくなるばかりか、不正行為に荷担するようになることを、当時から予見していたのかもしれません。
19世紀末と言うと「金ぴか時代」と呼ばれることもあるほど、さまざまな分野でカルテルやトラストが業界全体を支配していた時期なのですが、次の諷刺画でおわかりいただけるように、産業資材のトラストばかりで金融トラストは登場していません。
1913年に連邦準備制度というかたちで中央銀行が設立されたときにも、単一の金融政策をおこなう銀行としてではなく、全米を12の地域に分けてそれぞれの地域にひとつずつ連邦準備銀行を置くことになっていました。
そして、連邦レベルでの金融政策は合議制で執行することにして、アメリカ国民の多くが共有する中央銀行アレルギーを回避するなどの小手先の工夫をこらして、なんとか設立にこぎつけたというのが実情です。
こうした金融寡頭政への極端な警戒心にも配慮し、州法銀行時代からの伝統にも影響されて、1927年には「銀行は本店所在州以外に支店を出してはいけない」といった法律も制定されていたのです。
ロビイング規制法の影響が金融業界にもところが第二次世巻大戦の終戦直後の1946年に制定された「ロビイング規制法」という名の贈収賄奨励法が制定されました。それまで巨大化への道をさまざまなかたちで封じられていた銀行業界が、この法律に眼を付けないわけがありません。
ロビイング規制法成立からちょうど10年後の1956年には、持株会社を通じて銀行が複数の州に支店を持つことを禁ずる「マクファデン法」という法律も制定されました。
これは多くの州に支店を出そうとする大手銀行の規制緩和要求を封じこめるための法律でした。まだこの頃までは、カネの力で買収されてしまった議員ばかりではなかったようです。
しかし、ロビイング規制法成立のほぼ正確に50年後の1994年に制定され、1997年からフルに施行された州際銀行支店効率化法によって、とうとう大手銀行資本が自由に多数の州に支店網を構築することができるようになったのです。
当時の監督官庁は「そもそも銀行が1州の中にしか支店網を持てないという制約が時代遅れで不自然なものだから、この規制緩和によって銀行業界全体の効率性が増す」というスタンスをとっていました。
実際にも、多くの州に支店を持つことができなくても、大手行と中堅以下の銀行のあいだの経営規模格差はかなり大きくなっていました。
セントルイス連邦準備銀行のホームページにも掲載された『州の境界を超えて――アメリカ銀行業界の新たな夜明け』という論文のタイトルからも、画期的で銀行業の効率化に貢献するすばらしい規制緩和政策という意気込みが読み取れます。
ただ、こうした規制緩和が社会全体にとって有益なものとなるためには、あらゆる業界で大手企業が監督官庁を抱きこんで自分たちに有利な法律や制度をつくらせているロビイング規制法のような悪法をまず廃棄しておくことが必要でした。
群雄割拠の銀行業界にも整理統合の波が贈収賄奨励法が撤回されないまま弱肉強食の買収・合併が増えたため、貯蓄貸付組合危機が収まってから下げ止まっていたアメリカに存在する銀行の数がまた急ピッチで減少に転じました。
中堅以下の銀行を吸収してますます資金力が強まった大手行は「危険なギャンブルに手を出しても、勝てば儲けは自分たちの懐に入ってくるし、負ければ<大きすぎて潰せない>という口実で国が救済してくれる」と見こんでハイテクバブルに突っこんでいきました。