目次
1. はじめに:蓮の花を見るには、蓮の花の話
2. 奈良時代の建設の天才、行基さん
1. はじめに:蓮の花を見るには、蓮の花の話
ある年の7月初旬。梅雨の真っ盛りでしたが、午前中だけ青空が出るという天気予報のとおり、部分的に晴れ間が表われたので、奈良の喜光寺(きこうじ)に蓮を撮影しに行きました。
先に言っておきますが、蓮の花を見るには午前中の早い時間帯がベストです。
蓮の花は日の出と共にゆっくりと時間をかけて咲き始めます。8〜9時頃の間に満開を迎え、またゆっくりと時間をかけてしぼんでいき、午後には蕾へと戻ります。これを3~4日繰り返し、そのまま力尽きて、翌日には散ってしまいます。
蓮の花の原産国はインドです。インドの国花が蓮の花です。仏教やヒンドゥー教などのインドゆかりの宗教にとって大切な花です。
ご存知のごとく、仏教においては、蓮の花は慈悲や知性の象徴とされ、死後に行く極楽浄土に咲いている花として崇められています。蓮の花が生息しているのは泥水がある池などであり、茎をのばして綺麗な花を咲かせるのが、清らかな存在として、仏教の経典の中に登場します。
仏陀、仏像、奈良の大仏が蓮の花の上に胡座で鎮座している姿が見られるのは、蓮の花が聖なる花として使われているのです。
歌手・中島美嘉さんのファンクラブは『Lotus』という名前です。その世界では蓮の花好きなアーティストとして知られています。
彼女のCDのジャケットにはたくさんの蓮の花が使われています。ファンクラブのロゴにも蓮の花が使われています。ライブの舞台にも蓮のロゴが使われており、さぞかし彼女のスローバラードを座ってゆっくり聴けると思いきや、オープニングの曲が、「GLAMOROUS SKY」というロック・ミュージックだったので、曲が始まると、当然のごとく観客は総立ちで踊り始めたのでした。。。
2. 奈良時代の建設の天才、行基さん
喜光寺は、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)と縁が深いお寺です。
行基菩薩は、現代まで「行基さん」と親しく呼ばれている人で、仏籍にあった方です。色んなお寺の開基に関わっていたため、当初、奈良時代の建築業者であったに違いないと考えられていました。
この方は、お寺を建てただけでなく、橋、港湾、農業灌漑(かんがい)のため池(日本最古のダム)など建築一般に関わっていて、とても一介のお坊さんの枠にはまるような人ではなかったように思います。行基さんがあたった建築について、喜光寺公式サイトには以下の記述があります。
行基菩薩のあしあと
行基菩薩はご生涯に多くの寺院、池や川、橋や港を整備されました。『行基年譜』によると四十九院とよばれる僧尼院に加え、15の池、13の水路や川、6つの橋、2つの港、9つの布施屋を整備されています。これらは畿内に造られたものだけで、諸国にはもっと多くの恩恵をうけた人びとがおられたと考えられます。【喜光寺 公式サイトより引用】
行基さんは、49のお寺を開基しています。喜光寺は平城京内に造られた唯一の寺院ですが、平城京の地に建立したことで、その時の朝廷から弾圧を受け、大阪の和泉に帰って活動していました。
しかし、724年に元正天皇は譲位し聖武天皇が即位し、聖武天皇は行基菩薩の布教活動・社会事業を評価され、それ以後、行基さんの布教活動・建築活動の中心として喜光寺の存在がありました。