岸田首相が訪米時に行った議会演説が、その後の米国議会における予算審議で、議員たちに引用されたことが話題だ。時機にかなった演説だったということだろう。

岸田首相は、米国連邦議会上下両院合同会議において、「米国が何世代にもわたり築いてきた国際秩序は今、新たな挑戦に直面しています。そしてそれは、私たちとは全く異なる価値観や原則を持つ主体からの挑戦です」という認識を披露しながら、「この世界は、米国が引き続き、国際問題においてそのような中心的な役割を果たし続けることを必要としています」と強調した。

連邦議会上下両院合同会議で演説を行う岸田首相 首相官邸HPより

そして岸田首相は 「世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」と述べたうえで、日本を米国の「未来のためのグローバル・パートナー」と位置付けた。

米国連邦議会上下両院合同会議における岸田内閣総理大臣演説 首相官邸HP

この演説について、国際政治学者系の方々は賞賛を惜しまない一方で、政府に批判的な言論人の方々は批判を繰り返している。典型的な「見放され」と「巻き込まれ」の恐怖の安全保障のジレンマにそって、米国との絆を強固にすることに安心感を得る層と、それにかえって不安を覚える層とが、くっきりと分かれる構図だと言える。

私も国際政治学者の端くれではあるので、前者の中に入っていてもいいはずだ。だが「米国のリーダーシップ」の必要性を米国人に訴え続け、日本がその「米国のリーダーシップ」の維持に貢献していくことを誓った2024年4月の状況での岸田演説については、複雑な気持ちだ。

私は日本の憲法学者の通説の9条解釈は間違っているという学説を持っており、そのため憲法学者の方々から「右翼」とみなされている。安倍首相が推進した「自由で開かれたインド太平洋」構想についても、非常によくできたものだと考えており、繰り返し参照している。その安倍首相が米国議会で演説したのは2015年だったが、当時の問題になっていたのが平和安全法制だった。安倍演説は、その日本国内での議論の状況と、歴史認識を踏まえて、日米同盟を未来志向の「希望の同盟」と位置づけるものだった。

米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説 「希望の同盟へ」 2015年4月29日 外務省HP

当時の安倍演説と、今回の岸田演説は、類似した内容を持っているが、幾つかのトーンの違いがある。大きな違いの一つは、岸田演説が、「今日、一部の米国国民の心の内で、世界における自国のあるべき役割について、自己疑念を持たれていることを感じています。この自己疑念は、世界が歴史の転換点を迎えるのと時を同じくして生じているようです」と、アメリカ人の自信の喪失について、触れている点だ。現代世界において、米国の力が疑われ、何と言ってもアメリカ人自身が自国の役割を疑っているのを前提にして、岸田首相はいわば「弱音を吐かず、もっと頑張ってほしい」と頼んでいるのである。これが米国議員の琴線にもふれ、議会で引用されたりしたのだろう。