■鳥山さんが指針に

岸本氏は、幼い頃から鳥山さんの作品を読んで育ったことに触れ、大学生時代に『ドラゴンボール』が連載終了したことに、「とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました」と述べる。

「僕も先生のような作品を作りたい! 先生のようになりたい! と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました」と、鳥山さんが漫画家としての指針になっていたことを明かした。

漫画賞の審査などで顔を合わせる中で、「ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません」と思い出を回顧。

「もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生」と記すと、「鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした」と悼んだ。