幸之助お気に入りの『「青春」という名の誌』

コッター教授は幸之助お気に入りのサムエル・ウルマンの誌を紹介する(訳は宇野収、作山宗久著『「青春」という名の誌』)。

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の 唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは 怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易をふり捨てる冒険心を意味する。ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅遥が心にある。人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が 皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

教授は「幸之助論」を以下のように結ぶ。

彼は繰り返し人々に説いた。謙虚で素直な心があれば、人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べると。人道的な大きな理想を抱けば、成功も失敗も克服し、そのどちらからも学び、成長し続けることができると。

彼の驚異すべき業績は、これらの主張の力強い証明にほかならない。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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