■無差別乱射男の幼少期とは?

“女性への怒り”が突然爆発!
(画像=ジョージ・ヘナード 画像は「Murderpedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 ジョージは、1956年10月15日にペンシルベニア州セーヤーで生まれ、主に同州ベルトンで育った。父親は軍の病院で働く腕の良い整形外科医で、国内外の軍病院を転々としたため、一家は移動することも多く、落ち着かない環境だった。子ども時代は大人しく手がかからなかったため、両親はジョージの気持ちを考えたり、意見を尊重することがなかった。やがて思春期になると、ジョージは父と対立したり、子どもを自分の言いなりにして押さえつけようとする母親と口論することが多くなった。しかし実は、ジョージは物心つく頃から母親のことを強く嫌っており、思春期になってその気持ちを爆発させただけだった。高校時代の彼は暗く、少ない友達に対しても母親の恨みつらみばかり語ろうとするため、嫌厭されていたという。もちろん、そんな彼にガールフレンドができるはずもなく、とても孤独だったと伝えられている。

 1974年に高校を卒業したジョージは、軍に入隊する。そして3年後、海軍に正式配属された頃から、問題を起こすようになった。マリファナの所持で逮捕されたり、人種差別的な言動に及んだとして船員仲間と口論となり、停職処分を受けたり――。乗船中にマリファナ所持が判明し、2度目の停職処分を受けた直後には、ヒューストンにある薬物乱用更正プログラムに入り、除隊することになった。

 その後、一等水夫の免許を持っていたジョージは船員としての仕事を探したものの、海軍で問題を起こした過去があるため商船には採用されず。生活のため、さまざまな職については短期間で辞めることを繰り返し、州から州へと移り住むようになった。1983年、両親の離婚後しばらくは、金のある母親とともにネバダ州に住んでいたこともあったという。ちなみに父親は、離婚後にヒューストンへと移り住んだが、そこで減量クリニックが起こした詐欺まがいの事件に巻き込まれ、テキサス州医療医委員会から懲戒処分を受けている。