日本人がいないところを求めた
ーロイヤル・アントワープはどのような印象でしたか?
三好:当時は知らなかったんです。正直ベルギーがどこにあるのかも知らなかった(笑)。日本人選手が(ベルギーリーグに)何人かいたのは知っていましたし、それこそシント=トロイデンがベルギーで日本人オーナーのチームというのは知っていました。でも、アントワープの存在は全く知らず。前年に2部から上がってきたクラブでしたが、海外挑戦の1歩目としては日本人がいないところに行きたかったんで、誰もいなくて面白そうだなと。
ー日本人がいないところを求めた理由は?
三好:どうせ海外にいくなら1人で挑戦したいじゃないですか。挑戦している感が欲しいっていうか。もちろんバックアップがあったら楽なんだろうなと思うし(シント=トロイデンが)日本人オーナーであることを全く否定するつもりもないです。(海外移籍の)一歩目としてそこは魅力的だと思いますけど、どうせ挑戦するなら(日本人のいない)そういったところへ行ってみたいなと思ったんです。
ーアントワープでの4年間を振り返ってみていかがですか?
三好:毎年監督も代わっていましたし、なかなか安定しているチームではなかったです。ベルギーリーグ特有っていうか、選手も毎年10~15人ガラッと変わりますし監督もシーズン途中で代わって、みたいな。4年間いましたけど監督が5人くらい代わっています。
外国人の監督なんて僕のこと知らないじゃないですか。僕もそこまで言葉が堪能じゃなかったですし、ましてや1年目なんかほぼ英語喋れなかったんで、そこらへんの苦労は常にありましたけど。でもそれもまた楽しかったですね。
海外ではポジショニングに変化
ー海外リーグはフィジカル面が強く日本人選手にとって不利なこともあるかと思いますが、工夫していることなどありますか?
三好:そうですね。日本人としてそもそも外国人よりも不利っていうのもありますし、自分なんか身長が小さい時点でどうしても。自分がどれだけ動けると思っていても、やっぱり僕を知らない監督からしたら“ちっちゃい日本人”で片付けられちゃうので、それ以上の技術、それ以上の何かをチームにもたらすことができるっていうところをプレーで見せなきゃいけない。極力ボールに触れて数を増やせるように、そのアピールというか要求を常にしていました。言葉も堪能じゃなかったから、言葉でアピールできない分プレーでどれだけ魅せるかを常に意識してましたね。
ー日本でプレーしていた頃から変わったことはありますか?
三好:ポジショニングが結構変わりましたね。日本人同士とは違って意思疎通がしづらいんで、自分が出してもらえると思った距離感でボールが出せない選手が多かったりとか、ベルギーでは特に。「ここで欲しいんだけどな」とか思っててもそこに出せない選手が結構いましたね、自分の感覚では。
だからちょっと距離を近づけて、確実にボールを出せるところまで落ちてあげるとか。自分がボールを触らないことには何も始まらないので。自分がギリギリのところでボールを受ける受けないの駆け引きをしたくても、そもそもそこを見れてない選手が多い。僕は「マークに付かれてなくてボール出しても平気だよ」と思ってても、出す側は「相手に付かれているから無理だよ」と思ってるみたいな。
そういう意識の違いは結構あって、自分の感覚とベルギー人だったり別の国の選手がどう感じているかを埋め合わせるのは時間がかかった…というか、未だにあります。日本人選手はみんなそうなのかなと思います。