1880年代の医療水準

 この年代は拳銃弾の威力が現代よりも弱く撃たれると貫通せずに弾丸が体内に残ることが多かった時代です。

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ギトーの拳銃を描いた当時のイラスト(画像は「Wikipedia」より)(画像=『TOCANA』より引用)

 この時代の医療水準を見ると撃たれたら助からないと言われていた体の部位は胸よりも腹でした。

 銃で胸を撃たれたときの気胸の治療法は1795年にフランスの外科医ジャン・ルイ・プティが始めてナポレオン戦争時代には一般的な治療法として確立していた当時でも80年は実績のある治療法でした。

 胸に比べて腹は腸に穴が空くと内容物がお腹の中にあふれ出て死んでいました。

 雑に説明するならウンコが腹の中にあふれて死ぬ嫌な死に方です。

 胸の方が心臓や動脈に当たらなければ感染症で死なない限り何とかなっていました。

 この年代の医療水準では胸を撃たれて肺に穴が空くより腹を撃たれて腸に穴が空く方が死亡率が高かったのです。

 グッドフェロー先生は現代でもやっているように弾丸を取り出すと腸の穴を塞いで腸からお腹の中に漏れ出したウンコを洗浄して綺麗にする治療をすることで救命率を劇的に向上させたことから「ガン・ファイターの外科医」と呼ばれました。

 そして、グッドフェロー先生は防弾チョッキの発明者でもあります。

 何人もの銃創患者を診ているうちに身に付けていた絹が弾丸を止めていることを発見しました。

 ここから絹を何十枚も重ねた服を着ていれば銃弾を防げることが発見され世界初の防弾チョッキが生まれました。

最終的に医師として有名になったグッドフェロー先生は大きな病院で働くようになって現代でも行われている前立腺肥大を切除して治す手術を発明して、銃創治療の外科医から泌尿器科外科医として医学史に名前を残しています。