必然的にイオンは郊外で発展していった
イオンモールは必然的に郊外で発展していったという経緯があると中井氏は語る。
「イオンモール登場以前の大型スーパーというと、GMS(ゼネラルマーチャンダイズストア)という小売業態が一般的でした。GMSとは3、4階建ての箱型の建物の中に食品、雑貨類、家具、薬屋などさまざまな店が入った、いわゆる衣食住が詰まった業態。関東だと西友やイトーヨーカドー、関西ではダイエーといった企業が台頭し、1970年代に東京、大阪から店舗展開が始まり、次第に地方にも広がっていき店舗を増やしていきました。
そしてGMSは都市、地方問わず駅前に展開していました。1980年代以前は、一般家庭における自動車の所有率が低かった時代なので、GMSがお客を呼び込むためには人通りの多い駅前が最適だったためです。こうして駅前の一等地を確保できたイトーヨーカドー、ダイエーなどの企業は先発組として、駅前のニーズを獲得することに成功したのです」(中井氏)
しかし80年代以降、自動車の所有率が高くなり始めたことをきっかけに状況は一変していく。
「自動車の普及率が高まり、GMSは駅前のみならず郊外のロードサイドにも進出するようになりました。郊外店は自動車で来店しやすく、土地代が安く商品の価格も抑えられるため、自動車所有世帯であれば、郊外店のほうがメリットは大きい。しかも、地方は余っている土地を有効活用できたので、イオンなどのGMS後発組の企業は、駅前一等地に出店ができない分、郊外のロードサイドに目を付けて出店するようになっていきます。その進化系として、圧倒的な面積を有し、出店したのがイオンモールでした。1992年、現在の青森県つがる市に1号店をオープンしたのです。
こうして郊外店との競争に負けた地方駅前のGMSは、7割近くが閉店に追い込まれてしまい、撤退を余儀なくされるか、もしくはダイエーのようにイオンに吸収されてしまいました。西日本ではイズミのゆめタウンや、平和堂など多様な大型モールがあるものの、イオンほど集客力があり広大な店舗面積を有す商業施設は多くはなく、実質独壇場といえますね」(同)
イオンモールは、車社会である郊外で大量に客を呼び込むという店舗設計だったからこそ、成功した側面もある。そう考えると、公共交通機関が発達しマイカーがなくても不便ではない東京23区というエリアは、イオンモールの戦略とは合致しないため、展開が進まなかったのは当然のことだったのだろう。