「ヒロインの牡丹ちゃんは、とにかく可愛い子で」

――今回は緋色牡丹役にトリ・グリフィスさんを採用されましたが、その理由を教えてください。
光武:500人以上の応募がありましたが、永井豪先生の作品のヒロインはなかなかハードルが高いんですよね。唯一先生から映画化に当たって明確に出されたお題が「ヒロインの牡丹ちゃんは、無名でいいから、とにかく可愛い子で」でした。もちろん、それもプレッシャーになっていたし、なかなか「これぞ!」と思う人がいませんでした。
コロナ中で、健康不安を抱えている役者さんたちが仕事をしていなかった時期なんですよ。普通ならもっと応募があるのに、それもありませんでした。「もうちょっとオーディションの期間を延ばさなきゃいけないかな?」と悩んだ時期もありました。
そんな中、トリがマユミ役でオーディションを出してくれたんですよ。僕は彼女を見て「サイドキャラクターの器じゃないかもしれない。主演も張れるんじゃないかな?」と思って、トリのマネージャーにキャスティングディレクターを通して「ヌードはOKか? 主演をやらないか?」とオファーを出してみました。そうしたら、「大丈夫」という返事があって、改めて緋色牡丹役でオーディションに来てもらいました。
彼女のオーディションをやったら、やっぱりすごくよかったんですよね。撮影当時22歳でしたが、自分の初主演映画になるかもしれないということで、熱意をもってアプローチしてくれたし、すごくハングリーでした。僕は永井先生の漫画も見せて「これだけのバイオレンスがあって、これだけのヌーディティがあって、大丈夫?」と聞きましたが、トリは「大丈夫! やるわ!」と積極的でした。
――トリさんが最初にマユミ役でオーディションを出したのはびっくりです。

光武:そうそう。だから、逆にマユミ役を、もうちょっと陰のあるシェルビー・パークスにやってもらいました。シェルビーも非常に優秀な俳優で、オーディションに入ってきたときから「この人は本当に超能力を持っているかもしれない」というミステリアスな雰囲気があったんですよ。僕の大好きな『デビルマン』のあのシーンも含めて、素晴らしいマユミを演じてくれました。
『唐獅子仮面』は成功しないミッションの話、守らなきゃいけない人たちを守れなかった話なので、ちょっとトリッキーなんですよ。だから、守れなかった人たちがあまりにも憐れになっちゃうと、観客がヒーローを許せなくなるんですね。そこで、「本当は自分の身は自分で守らなければいけないくらいの人なのに、それができなかったんだよ」という解釈も成り立つ、存在感のある人をマユミ役に選ばなければいけませんでした。そういう意味で、シェルビーとトリは対照的です。守らなければいけない側の方が強そうで、ヒーローの方がまだ頼りないという関係性が、良い感じに出せたかなとは思っています。緋色牡丹の成長譚ですからね。
――緋色牡丹が成長していって、最後にメタルヒーローのような決めポーズを見せてくれたのが印象的でした。
光武:あそこはまさにギャバン(『宇宙刑事ギャバン』、1982~1983年)ですからね。僕の中で「これはギャバンだ!」と思ってやりましたから。ガチでギャバン世代だったので、一番思い入れのある特撮ヒーローです。しつこいくらいの繰り返しとズームを一回やってみたかったのですが、今回やれました。
――超能力バトルなどのナレーションもギャバンから来ているんですよね?
光武:そうですね。「もう一度見てみよう」というナレーションは、欧米では悪口を言われるテクニックなんですよ。 “voice of god narration” (神の声のナレーション)といって、「あんた、誰?」という人物が全てを達観した語り口で「では、もう一度見てみよう」とか「一方、その頃」とか、日本の時代劇などでは当たり前ですが、欧米人はすごく違和感を持って観ているんですよ。それを敢えて使うのが僕の好きなテクニックです。