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1945年8月9日
長崎に投下された原子爆弾について

1945年8月9日

1945年8月9日午前11時2分。長崎の上空で一発の原子爆弾がさく裂しました。長崎の街は一瞬にして破壊され、大人も子どもも多くの命、日常が一瞬で奪われました。なんとか生き延びた人々も、身体はもちろん心にも大変大きな痛手を負い、今もなお多くの被爆者が苦しんでいます。

資料館入り口を入るとすぐ、原子野と化した長崎の街に足を踏み入れることになります。崩れた街、真っ暗な世界に火の手があがる様子、そして11時2分を指して止まった時計が展示されています。被ばく前の長崎の街の様子も見ることができ、その違いに愕然とします。

【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<原爆投下直後の長崎の街を体感できる>、『たびこふれ』より引用)
【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<東洋一の壮大さを誇っていた浦上天主堂(再現造形)は、わずかに側壁を残しただけで、無惨に崩れ落ちた>、『たびこふれ』より引用)
【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<時を止めた時計>、『たびこふれ』より引用)

長崎に投下された原子爆弾について

原子爆弾は、核分裂性物質が核分裂するときに発生するエネルギーを兵器として利用したものです。その威力は、通常の爆薬に比べるとはるかに大きな破壊力をもっています。また、核分裂の時に発生する放射線(ガンマ線など)は、一度人体に混入すると、長い期間に渡りその身体に深刻な障害を与えます。長崎に投下された原爆は、長さ3.25m、直径1.52m、そして重さは4.5tもあり、その形状からファットマンと呼ばれていました。爆発の時は21ktに相当するエネルギーを放出し、そのエネルギーとは爆風が約50%、熱戦が約35%、放射線が約15%で、これらが複合的に絡み合い、長崎の街を壊滅させたのです。そして死者73884人、負傷者74909人(1945年12月末までの推定)という未曽有の悲劇を生みだしました。

【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<長崎型原爆ファットマンの実寸大模型>、『たびこふれ』より引用)
【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<長崎地形模型では模型上に火球・熱線・爆風・火災・放射線の広がりについて分かりやすく展示・解説している>、『たびこふれ』より引用)
【長崎】1945年8月9日11時2分長崎の時は止まった~長崎原爆資料館で核兵器の恐ろしさと平和の恒久を祈ろう~
(画像=<原爆投下後の火災による被害の検証展示>、『たびこふれ』より引用)