さらば「GDPフェティシズム」

ビジネスマンなら誰でも一度は耳にしたことがあるだろう「GDP」は、最も典型的な経済指標の一つだ。日本の経済規模だけではなく、成長率を測ったり、国の発展度を測る際にも用いられたりするのは、読者諸氏もご存知の通りだろう。

その「GDP」に今、根本的な疑問が投げかけられている。英経済誌「エコノミスト」が4月30日付で、「GDPは物質的厚生の指標としてもはや時代に合わない、大きな見直しが必要(GDP is a bad gauge of material well-being. Time for a fresh approach)」と題する解説記事を掲載し、新時代に合った経済指標のあり方を見出す必要性を指摘したのだ。

現実には、GDPは「経済的豊かさの代名詞」とでもいうべき地位を占めてきており、より大きなGDP、より大きなGDP成長率を示すことと、豊かさがイコールとよくみなされてきたといっても過言ではない。ただ、指標としてはもともと、多くの欠陥も抱えてもきたという。

さらに言えば、時代の変化がさらに、その欠陥の悪影響を拡大しているかもしれない。それが「GDP」を見直す必要性を呼び起こしているとみられている。特に、賢明な読者なら気付いている通り、少品種を大量に生産する「大量生産大量消費」型から、需要に応じて多品種を少量ずつ生産したり、きめ細やかなサービスへのシフトが大きく影響しているという。先進国経済では、豊かさを測る尺度としての「GDP」の妥当性はますます低下していると指摘されてきているのだ。

経済指標としてのGDPの妥当性を論じる上で、重要な指摘がある。2001年にノーベル経済学賞を受賞した、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授の言葉で、同教授は、「GDPは『製造業時代』の遺物だ、GDPフェティシズムを放棄して『真の人間的厚生』を計測・表示するダッシュボードを検討すべき時」だとしているのだ。

しかし安心していい。GDPを改善するための手がかりもすでに、議論に登場しているからだ。具体的には3つの改善点があるという。

1つ目は現行システム内での手始めとして、課税データをはじめとしたビッグデータなど、推計やサンプルに頼らない、直接データを活用することだという。より実態に近い指標になるような改善だと言えそうだ。さらに、2つ目は、GDPに織り込まれる要素を増やすことだ。具体的には、家庭内労働(子育てや介護)の恩恵、長寿化など保健サービスの「効果」、新製品の登場や選択肢の拡大がもたらす豊かさの向上をも取り込んだ「拡張GDP」(GDP-plus)を開発することだ。

最後に、公的資産、無形資産、環境を含む各種ストックから派生するプラス・マイナス両面の評価を加味すること。改良を重ねれば、GDPが「豊かさの指標」としての本領を発揮できるとみられている。

「豊かさの正確な計測」への挑戦

「エコノミスト」誌のこうした主張は間違いではないだろう。他方でそれほど目新しいものではなく、国内でもさまざまなな、「豊かさ」を計測する指標を作り出すための取り組みが進んできた。その、政府が中心になって進めてきた取り組みの一部を紹介しよう。

ただし、そのためにはGDPを中心に据えたSNA(国民経済計算体系)の目的を明確に意識しておかなければならない。GDPの一義的な目標は経済活動の規模を測ることで、もともと「豊かさ」を測るうえで限界があるとされてきた。多くの識者が共通して理解していたし、限界を少しでも乗り越えようとさまざまな試みも行われてきたからだ。

日本でも旧経済企画庁(現在は内閣府の一部)を中心に大きく二つの流れが存在した。一つは1970年ごろからOECDのガイドラインに沿って進められたSI(Social Indicators、国民生活指標)の設計と測定。「住む」「費やす」「働く」「育てる」「癒す」「遊ぶ」「学ぶ」「交わる」などの生活領域ごとに、どれだけの質的改善があったかを指数として表そうという試みだ。

もう一つは経済審議会が1973年に公表したNNW(Net National Welfare、国民福祉指標)だ。GNP(GDPが主役になるのは80年代以降)から公害、混雑などの非福祉的部分を差し引き、余暇、主婦労働などの福祉的要素を加えることによって求められる。あくまでも貨幣額での足し引きとして、例えば主婦労働の時間単価をいくらと見るかなど、別の恣意的要素が入り込む恐れは小さくない。

さらに、国連では今もSNA(国民経済計算)にサテライト勘定として環境・教育・介護などの分野を連結して、社会生活の全貌を記述しようとするSSDS(A System of Social and Demographic Statistics: 社会人口統計体系)の研究が続いている。

IT革命・グローバル化に乗り遅れるGDP

「エコノミスト」誌の提言が意味を持つのはしたがって、「経済活動の指標」としてもGDPはもはや時代遅れではないかという点だろう。特に注目すべき問題を3点挙げよう。

第1に、GDPの算出は価格の測定抜きには不可能だが、どの時代にも「品質・新製品バイアス」、「アウトレット・バイアス」「代替バイアス」などの物価計測バイアスが多かれ少なかれ存在した。また第2に、価格変化の計測と並んで名目取引額の把握にも固有の問題が生じて来る。その実態も決して無視できず、経産省のレポートによれば、2014年のB2C(小売り)電子商取引(Eコマース)額は中国の約4300億ドルを筆頭に米国 3000億ドル、英国 800億ドルだ。

第3に、ITネットワークが大きな原動力となって、「ボランティア経済」とも呼びうる非市場活動が加速的に成長してゆく。無料オンライン講座「ムーク(MOOC)」、ウェブ上で共同制作される百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」など、人々の生きがい・楽しみや福祉と言う点で大きなウェイトを持つこれらの非市場取引経済はどう計測されるのかはっきりしていないのだ。

他方でGDPへの関心は今なお大きい。実際、1-3月期のGDP速報がこのほど発表され、株式市場にそれなりのインパクトをもたらした。「速報値」は今後時とともに何度か「改定」され、最終的に確定するまで数年かかるのが普通だが、そんな「速報値」ですら貴重な手がかりと見る人たちがいてもそれはそれ。

長期的な成長分析や、国際比較に当たっては、「時代」に即した経済活動指標の構築をぜひとも進めねばならない。

文・岡本流萬/ZUU online

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