チャレンジするか否か……
そういった経験を踏まえて2013年、当時36歳だったんですけども、やりたいことは宇宙じゃなければ何なのかは結局見つからなくて。
ただ、子供も1〜2歳ぐらいの時で、自分が40歳になり子供が小学校に入ると、なかなか新しいことにチャレンジするのは、やりづらくなるだろうと。
デロイトトーマツで会計士の業務に携わっていた際には高い評価もいただいていたので、その道でずっと行くことも、もちろん選択肢の1つとして考えてはいました。
でも、チャレンジせずに一生を終えると、きっと後悔するだろうなと。チャレンジして失敗したとしても、会計士としての資格も実務経験もあったので、やり直そうと思えばきっとやり直せるだろうし、それよりも後から後悔だけはしたくないと思い、独立を決意しました。
独立してからの最初の2年間はいろいろと模索し、その模索の中で自分の価値を1番発揮できて、(他人と)1番差別化できることは何かを、いろいろと思考錯誤した結果、日中間で大企業とベンチャー企業とのオープンイノベーションによる事業共創を推進する事業にたどり着き、2015年に「匠新」を立ち上げました。
起業⇒軌道に乗せるまでの苦労は
私が非常に感銘を受けたスティーブ・ジョブスの「Connecting the dots(点をつなげる)」という話があります。
「自分が過去にやってきたことが、いつかつながっていく」という話なんですが、自分がそれまでに築いてきたのは、ITエンジニアとしての経験や、特に日本と中国をまたがるようなベンチャー企業のIPO、大企業のM&A・投資、多言語環境におけるマネジメントでした。
あと、学生時代から自分が生きがいを感じてきたことは“人と人とつなげていくこと、異文化・異世代をつなげていくこと“ということです。
これらをつなげ、いろいろ軌道修正をしていく先にあったのが、いまの「匠新」です。独立するにあたっては、自分がやりたいことと、自分がこれまでやってきたこと、ちゃんと周りからもニーズがあること。これが重なる真ん中を探していきました。
加えて、立ち上げた後になって非常に大事だなと思ったのは、周りが応援してくれることです。
日本と中国の新しいあり方を探求しながら、私自身もメンバーも、それをやっていくことが日本のためにも中国のためにもなると信じながら業務に携わっています。
そこに共感してくれる人も多くて。応援してくれる人たちが、僕らのことをいろんな人に紹介してくれたり、いろんなお仕事をくださったりして、さらに発展、成長につながっていく。
(そこから、)周りが応援してくれることも非常に大事だと思うようになりました。
―――異国の地である中国で起業されて、軌道に乗せるところまでかなり苦労されたと思います。
今は15人ぐらいの規模になっているんですが、最初は、(弊社の理念に)共感して一緒にやれるメンバーを集めようとしても、なかなかできませんでした。
学生のインターンが正規メンバーよりも多く、業務なりイベントなりをなんとかこなしている状態でした。色々な実績を重ねていって、「私も一緒にやりたい」というメンバーも増えて
いったのは、設立3年目ぐらいからです。
もう1つ苦労したのは、最初はなかなか売り上げが上がらずに、自分の貯金がどんどん減っていったことです。
もちろんメンバーに対しては毎月給料を払わなきゃいけないので、自分の持っているお金から払っていました。
サラリーマンであればお金は増えることしかなかったので非常に心が痛みました。途中からだんだん麻痺してきて、また楽になったんですけど。