中国・上海及び深センと東京に拠点を置き、日本と中国の企業に対してコンサルティングサービスなどを展開する会社「匠新(ジャンシン)」の代表を務める田中年一さん。
社外の知識やアイデア、技術などを取り入れ、新たな製品やサービス、ビジネスモデルなどを創造する“オープンイノベーション”を図り、企業や自治体、研究機関などが連携するエコシステムの構築を推進しています。
U-NOTE編集部は、田中さんが大学卒業後にITエンジニア、公認会計士を務めたのち、匠新を立ち上げるまでを聞きました(全4回中4回目)。
第1回「中国のベンチャー企業にとって日本市場が魅力的なワケとは 日中の“オープンイノベーション”を推進するコンサルティング企業「匠新」代表・田中年一さんインタビュー(1)」
第2回「中国ユニコーン企業がAIとEコマースに強いワケとは 日中の“オープンイノベーション”を推進するコンサルティング企業「匠新」代表・田中年一さんインタビュー(2)」
第3回「日本にスタートアップ企業が少ないワケ、これからの起業家に必要なマインドは? 日中の“オープンイノベーション”を推進するコンサルティング企業「匠新」代表・田中年一さんインタビュー(3)」
航空宇宙専攻からITエンジニア、米国公認会計士へ
―――田中さんが大学を卒業された後、今に至るまでをお伺いしたいです。
大学を卒業したのが1999年。大学の専攻は航空宇宙でした。
もともと子供のときに宇宙という未知な世界に関心があり、また宇宙飛行士になんとなくも関心があって憧れてですね、それで大学の専攻では航空宇宙を選びました。
大学の同期も半分ぐらいはJAXA(宇宙航空研究開発機構)に行くんですが、4年生になって、60歳になるまで40年ぐらい宇宙の世界にどっぷり浸かって、他の世界を全く知らずに人生の大半を過ごすと思いということがふと怖くなってしまって、それで(その道を)考え直しました。
もっと社会を広く見ていきたいなと考えて、理系でも幅広くやれるITエンジニアを新卒の仕事として選びました。
お客さんは金融機関や事業会社が多かったです。お金とか経済の動きは大学生のときにほとんど勉強してこなかったのですが、そういう知識がないとお客さんとまともに話せない、あるいは、その業務への理解もなかなか進みません。
また、会社が外資系というのもあって英語力も鍛えたいとも思い、社会人2年目くらいのときに米国公認会計士の資格取得の学校に通い始めました。週末に講義を週末受け、平日の夜に週2でに仕事を終えた後に受け受験仲間と集まって勉強をするという生活でした。
合格したのが社会人4年目で、合格後に転職して2002年から2013年までの12年間、会計事務所のデロイトトーマツで働きました。
(会社に)入るときに海外での経験を持ちたいなと。(行くなら)アメリカか中国だと思っていました。
中国については、もともと大学のときに選んでいた第2外国語が中国語だったこと、2000年以降中国の存在感がどんどん大きくなっていったこともあって、中国で活躍したい人を募集していたので応募しました。
ただ、入社時の面談で「まずは日本で経験を積んだ方が田中さんのためにも良いだろう」ということで、2002年から2005年は東京で、通常の日本の会計士と同じ実務をやっていました。上海に赴任したのは2005年からです。
(上海では)日本と中国にまたがるとの国境を超えたIPO(Initial Public Offeringの略称。証券取引所に上場していない企業が、新しい株の発行や売り出しを行って上場すること)や税務会計監査など、いろいろな業務に携わってきました。
それから東京に戻って会計監査業務を1年間務めた後、2010年から2013年は、デロイトトーマツのなかでM&A(Mergers and Acquisitionsの略称。企業の合併・買収のこと)を行うグループ会社があったのでり、そちらで日本の大企業が中国、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパの会社を買収する際のアドバイザー業務に深く関わっていました。