1月18日に全国放送されたTBSのバラエティ番組『櫻井・有吉THE夜会』が批判を浴びている。沖縄県出身の俳優・二階堂ふみに対して、標準語で答えなければいけないという縛りのなかで、取り囲んだ記者団が沖縄弁で次々に質問攻めにするというゲームだった。二階堂がつられて沖縄弁を口にしてしまい、人気俳優の「素」の姿が伝わってくる微笑ましいコーナーではあった。ところが、沖縄の人々に標準語の使用を強制したかつての日本帝国主義時代の差別を彷彿とさせるという批判がSNSなどで広がった。実際、沖縄の学校では戦後しばらくの間、沖縄弁を話すとペナルティとして「私は方言を使いました」という札(「方言札」と呼ばれた)を首から下げさせられ、「みせしめ」になっていた時代も長かった。こうした歴史についてあまりに無知だという批判があがっている。かつて日本テレビで解説委員やドキュメンタリー番組のディレクターを務め、放送局の現場に詳しいジャーナストで上智大学教授の水島宏明氏にこの問題をどう考えるべきか聞いた。
沖縄の歴史について
こうした問題を考える時には、沖縄という地域の独特の歴史をきちんと知る必要があります。本土と比べて、沖縄という地域は差別される歴史を積み重ねてきました。明治時代の1879年に「琉球処分」として日本に強引に併合されて、それまで持っていた独特の琉球文化を奪われてから日本への統合が一気に進められた歴史があります。1903年には大阪で開かれた博覧会でアイヌ民族や台湾高山族らとともに沖縄人が「人類館」に民族衣装姿で“展示される”という出来事も起きています。沖縄の人たちは本州の人々から長い間、差別され、「土人」などと蔑まされてきました。
さらに沖縄は太平洋戦争で国内唯一の地上戦が行われ、住人の4分の1が犠牲になっています。軍によって集団自決を迫られるケースもありました。本土の捨て石として住民が犠牲になり、現在も沖縄には本土に比べて圧倒的に多くの米軍基地があることも差別と言う人も少なくありません。
「方言札」については諸説ありますが、戦後も一部の学校では続き、1960年代まで行われていたという研究もあります。標準語を強制していた方言札などの歴史に照らしてみると、今回の番組での扱いは、制作者がこうした歴史を顧みずにデリカシーがなかったケースだといえます。沖縄の人に標準語を強制することはどんな過去と結びついているのかという点について、バラエティ番組であっても想像力を働かせてほしかったところです。今でもそういう過去を思い起こして傷つく人たちが沖縄にはいるかもしれない。そのことにテレビの制作者は神経を働かせるべきだという問題です。